イロイロ
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この項目では、フィリピンの都市について説明しています。フィジーの政治家については「ジョセファ・イロイロ」をご覧ください。

イロイロ
Iloilo

イロイロ市街
位置
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イロイロ州内のイロイロ市の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯10度43分 東経122度34分 / 北緯10.717度 東経122.567度 / 10.717; 122.567
行政
フィリピン
 地方西ビサヤ地方
 イロイロ州
 市イロイロ
地理
面積 
  市域78.34 km2
標高21 m
人口
人口(2020年現在)
  市域457,626人
その他
等時帯フィリピン標準時 (UTC+8)
イロイロ州の位置

イロイロ市(City of Iloilo、イロンゴ語: Ciudad sang Iloilo、フィリピン語: Lungsod ng Iloilo)は、フィリピン中部ビサヤ諸島パナイ島南岸にある都市。ギマラス島ネグロス島と海を挟んで向かい合っている。イロイロ州の州都で、西ビサヤ地方の政治・経済の中心でもある。2000年の国勢調査では人口は36万5820人で、フィリピンで9番目に人口の多い都市である。世帯数は72,218で人口増加率は年1.93%となっている。面積は56km2。人口密度は6533人/km2と非常に高い。

イロイロ市は歴史的にフィリピンの農業の中心地のひとつで、砂糖コプラバナナマンゴーなどの国外輸出はここから始まり、スペイン植民地時代・アメリカ支配時代を通じて多くの色々な農産品の輸出拠点となった。
市街地

イロイロ市には180のバランガイがあり、 アレヴァロ(Arevalo)、シティ・プロパー(City Proper)、ハロ(Jaro)、ラパス(La Paz)、マンドゥリアオ(Mandurriao)、モロ(Molo) の6つの区にまとめられている。これらはそれぞれ独立した自治体だったものが、1937年に合併した結果である。各区は独自の教会を持ち、特に Jaro(ハロ)の教会はハロ大司教座がありイロイロ市を含む一帯を管轄している。

シティ・プロパーがイロイロ市の政治的・経済的中心部で古くからの港町、ハロ・マンドゥリアオ・モロは商業地区で、アレヴァロとラパスは住宅地区である。イロイロ空港と、イロイロ最大のショッピングモール(SM City Iloilo)はマンドゥリアオにある。

大学が6つある教育の中心地で、フィリピン大学ビサヤと西ビサヤ州立大学という国公立大学のほか4つの宗教系大学がある。
言語

イロンゴ語(ヒリガイノン語、Hiligaynon)がこの地の母語である。教育やビジネスの現場では英語が使われている。加えて、タガログ語や、キナライア語(Kinaray-a)なども話される。

イロンゴ語はビサヤ諸島の西部で使われるオーストロネシア語族の一種であり、イロイロ州やネグロス・オクシデンタル州で使われる。フィリピン内外で700万人が母語としており、ほかに400万人がイロンゴ語を相当話すことが出来る。
歴史
植民地化以前

スペイン人による植民地化の前から、イロイロは経済的に栄えていた。13世紀、ボルネオから来た10人のダトゥ(首長)たちがパナイ島に着き、金の帽子(salakot)と引き換えに、先住のアティ族から島の平野と谷をもらったという逸話がある。ダトゥの一人パイブロン(Paiburong)はイロン=イロン(Irong-Irong、現在のイロイロ市)を受け取ったという。
スペイン人の征服とイロイロへの移転

1566年、スペイン人ミゲル・ロペス・デ・レガスピセブ島からフィリピン征服を始め、マニラに向かって北上していた頃、その部下達がパナイ島に来てオグトング(Ogtong、現在のオトン Oton)に入植した。エンコミエンダ制に基づき、ゴンザロ・ロンキーヨ(Ronquillo)が支配下の地元民を保護・教化しながら労役に使用できるエンコメンデーロの地位に就いた。これは後に総督となった。

1581年、ロンキーロはモロ人の海賊やイギリスオランダの攻撃を受け、町の中心をオトンから12km西に移し、母国スペインのアビラ(Avila)にある自らの故郷の町から名をとり、ラ・ヴィラ・デ・アレヴァロ(La Villa de Arevalo)と改名した。

1700年、オランダ軍とモロ人の攻撃はやまず、スペイン人植民者はさらに25km西にあるイロン=イロン(Irong-Irong または Ilong-Ilong)の村に本拠を移した。


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