イル=デ=パン
L'Ile-des-Pins
コミューン
同市内のサン=ジョゼフ湾
イル・デ・パンの位置
座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯22度37分 東経167度29分 / 南緯22.617度 東経167.483度 / -22.617; 167.483
イル・デ・パン(フランス語: Ile des Pins, カナック名 Kunyie)は、太平洋上に位置する島であり、ニューカレドニアの列島に存在するフランスの海外領土である。同島を中心とした、ヌーヴェル・カレドニー準県(ニューカレドニア)に存在する同名のコミューンであるイル=デ=パンについても、本項で記述する。 同島は、ヌーヴェル・カレドニー準県(ニューカレドニア)のコミューンであるイル=デ=パンの一部である。しばしば「天国にもっとも近い島」(フランス語: l'ile la plus proche du paradis)のニックネームで親しまれる。日本では、その称号は森村桂の著作『天国にいちばん近い島』から、ロイヤルティ諸島の一部であるウベア島がそう呼ばれている。色とりどりのラグーンでのシュノーケリングやスクーバダイビングで知られる。数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い海水の中に見ることができる。クニエ(Kunie、海の宝石箱)とも呼ばれる[1]。 同島は、南緯22度37分 東経167度29分 / 南緯22.617度 東経167.483度 / -22.617; 167.483
概要
住民のほとんどは原住民のメラネシア人のカナック(市全域93.9%)で、島人口は2006年現在で約2,000人である。1989年には1,465人であった。
同島は動物に富み、オウカンミカドヤモリや、ヤモリの世界最大種ツギオミカドヤモリ等、ユニークな種が生息している。島内固有の種のエスカルゴが生息し、島内でのみ食用に供され、島外への持ち出しは禁じられている。
エンガ山(ンガ山、Puc N'Ga)は標高262mで、島内最高峰の山である。幹線道路からの登山道がある。 1774年、ジェイムズ・クックがニュージーランドへの2度目の渡航の際に発見した。背の高い同地固有のナンヨウスギ科の植物Araucaria columnaris
略歴
1853年にフランスが領有を宣言し、同時期に土着の島民たちがカトリックに改宗した。1872年には、同国の流刑地(en:Penal colony)となり、パリ・コミューンから3,000人ほどの政治犯が送り込まれた。1879年に全員が赦免され、本国に帰された。 フランスの行政区域としてのイル=デ=パン(フランス語: L'Ile-des-Pins)は、同島とコトモ島
コミューン
概要
コミューンの行政的機能は、同島内の南東地区の集落バオに置かれている。バオは市庁舎、カトリック教会、学校、銀行(BCI カレドニア投資銀行)の存する同島の最大集落である。サン=モーリス湾を隔てた東側にはコトモ島と接している。1989年から市長を務めるイラリオン・ヴァンデグーは、1870年に女王となったオルタンスを生んだ酋長一族ヴァンデグーの末裔である。
おもな集落はほかに、クト湾・カヌメラ湾に面したクト、ウァメオ湾に面したコジュー、オロ湾に面したオロ等がある。 ル・メリディアンホテル&リゾートがオロ地区に「ル・メリディアン・イル・デ・パン」を構えるほか、コジューやクトにホテルや地元のカナックたちが経営するバンガローがある。コジューには島内唯一のダイビングサービスであるクニエ・スクーバ・センターがある。 食料品店は島内にわずかに点在するのみで、スーパーマーケット等はない。 イル・デ・パンの内陸にある空港とヌーメアの国内空港であるマジャンタ空港を、毎日数便のエール・カレドニーのプロペラ機が結ぶほか、高速船が週に3往復する。離島へは定期船はない。国際線はヌーメア国際空港(正式名称はヌーメア=ラ・トントゥータ国際空港)に発着するため、マジャンタ空港へ向かうにはシャトルバスの手配またはタクシーを利用する必要がある。空港間は約50q離れており、同日中にイル・デ・パンへ移動するには、ヌーメア国際空港の到着時刻やマジャンタ空港への移動手段・所要時間等の事前検討が望ましい。 クト、バオ、コジューおよび空港を通る幹線道路以外はほとんど未舗装である。交通手段は、自家用車およびレンタカー、1社のみのタクシーである。 観光地のカヌメラ湾には、干潮の際に地続きとなる小島がある。その小島に対し、私有を主張している現地人の一族がおり、許可なく立ち入ると強制的に排除される(暴力をふるわれる可能性もある)[2]。2002年、この小島で日本人女性の他殺遺体が発見されている[3]。島の私有を主張しているこの一族の男性2名が、小島への排除行動などを状況証拠として起訴されたが、物証がなく、証拠不十分として無罪判決となっている[4]。この殺人事件は未解決である[2]。
商業
交通
事件
出典^ 『ことりっぷ海外版 ニューカレドニア』昭文社、2015年、82頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-398-15477-4。
^ a b ⇒裁判記録
^ 邦人女性を殺害か ニューカレドニア
^ 邦人女性殺害で無罪 仏領ニューカレドニア