イル・デ・パン
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イル=デ=パン
L'Ile-des-Pins
コミューン
同市内のサン=ジョゼフ湾
イル・デ・パンの位置
座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯22度37分 東経167度29分 / 南緯22.617度 東経167.483度 / -22.617; 167.483座標: 南緯22度37分 東経167度29分 / 南緯22.617度 東経167.483度 / -22.617; 167.483
フランス
準県ヌーヴェル・カレドニー準県
プロヴァンスプロヴァンス・シュド
政府
 ? 市長イラリオン・ヴァンデグー
2008年 - 2014年
面積
 ? 合計152.3 km2
標高標準標高20 m
最高標高262 m
最低標高0 m
人口
 ? 合計1,840人
 ? 密度12.1人/km2
 2004年 国勢調査
等時帯UTCUTC+11
郵便番号98832
INSEE98809
民族構成カナック 93.9%
ヨーロッパ人 4.9%
ポリネシア人 0.7%
その他 0.5%
(1996年)
ニューカレドニア、イル・デ・パンのウピ湾。

イル・デ・パン(フランス語: Ile des Pins, カナック名 Kunyie)は、太平洋上に位置する島であり、ニューカレドニア列島に存在するフランスの海外領土である。同島を中心とした、ヌーヴェル・カレドニー準県(ニューカレドニア)に存在する同名のコミューンであるイル=デ=パンについても、本項で記述する。
概要

同島は、ヌーヴェル・カレドニー準県(ニューカレドニア)のコミューンであるイル=デ=パンの一部である。しばしば「天国にもっとも近い島」(フランス語: l'ile la plus proche du paradis)のニックネームで親しまれる。日本では、その称号は森村桂の著作『天国にいちばん近い島』から、ロイヤルティ諸島の一部であるウベア島がそう呼ばれている。色とりどりのラグーンでのシュノーケリングスクーバダイビングで知られる。数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い海水の中に見ることができる。クニエ(Kunie、海の宝石箱)とも呼ばれる[1]

同島は、南緯22度37分 東経167度29分 / 南緯22.617度 東経167.483度 / -22.617; 167.483 に位置し、南北15km、東西13kmの大きさである。ニューカレドニアの本島であるグランドテール島の南東、同準県の首都ヌーメアから約100キロメートル南東に離れている。1,097メートルの滑走路をもつ空港(空港コード : IDP)を島内に有する。ニューカレドニア・バリア・リーフに取り囲まれている。

住民のほとんどは原住民のメラネシア人カナック(市全域93.9%)で、島人口は2006年現在で約2,000人である。1989年には1,465人であった。

同島は動物に富み、オウカンミカドヤモリや、ヤモリの世界最大種ツギオミカドヤモリ等、ユニークな種が生息している。島内固有の種のエスカルゴが生息し、島内でのみ食用に供され、島外への持ち出しは禁じられている。

エンガ山(ンガ山、Puc N'Ga)は標高262mで、島内最高峰の山である。幹線道路からの登山道がある。
略歴

1774年、ジェイムズ・クックニュージーランドへの2度目の渡航の際に発見した。背の高い同地固有のナンヨウスギ科の植物Araucaria columnarisが自生しているのを目撃したことにちなんで、「松の島」(現在の英名 Isle of Pines)と名づけた。クックは、上陸はしなかったが、住民が存在することを確認したといわれている。1840年代にプロテスタントとカトリックの両宣教師が、白檀商人とともに上陸している。

1853年にフランスが領有を宣言し、同時期に土着の島民たちがカトリックに改宗した。1872年には、同国の流刑地(en:Penal colony)となり、パリ・コミューンから3,000人ほどの政治犯が送り込まれた。1879年に全員が赦免され、本国に帰された。
コミューン
概要

フランスの行政区域としてのイル=デ=パン(フランス語: L'Ile-des-Pins)は、同島とコトモ島、南東のノカンウイ島 (nokanhui) などの小島、150キロメートル東に位置するウォルポール島を含めたフランスのコミューンである。

コミューンの行政的機能は、同島内の南東地区の集落バオに置かれている。バオは市庁舎、カトリック教会、学校、銀行(BCI カレドニア投資銀行)の存する同島の最大集落である。サン=モーリス湾を隔てた東側にはコトモ島と接している。1989年から市長を務めるイラリオン・ヴァンデグーは、1870年に女王となったオルタンスを生んだ酋長一族ヴァンデグーの末裔である。

おもな集落はほかに、クト湾・カヌメラ湾に面したクト、ウァメオ湾に面したコジュー、オロ湾に面したオロ等がある。
商業

ル・メリディアンホテル&リゾートがオロ地区に「ル・メリディアン・イル・デ・パン」を構えるほか、コジューやクトにホテルや地元のカナックたちが経営するバンガローがある。コジューには島内唯一のダイビングサービスであるクニエ・スクーバ・センターがある。

食料品店は島内にわずかに点在するのみで、スーパーマーケット等はない。
交通

イル・デ・パンの内陸にある空港とヌーメアの国内空港であるマジャンタ空港を、毎日数便のエール・カレドニーのプロペラ機が結ぶほか、高速船が週に3往復する。離島へは定期船はない。国際線はヌーメア国際空港(正式名称はヌーメア=ラ・トントゥータ国際空港)に発着するため、マジャンタ空港へ向かうにはシャトルバスの手配またはタクシーを利用する必要がある。空港間は約50q離れており、同日中にイル・デ・パンへ移動するには、ヌーメア国際空港の到着時刻やマジャンタ空港への移動手段・所要時間等の事前検討が望ましい。

クト、バオ、コジューおよび空港を通る幹線道路以外はほとんど未舗装である。交通手段は、自家用車およびレンタカー、1社のみのタクシーである。
事件

観光地のカヌメラ湾には、干潮の際に地続きとなる小島がある。その小島に対し、私有を主張している現地人の一族がおり、許可なく立ち入ると強制的に排除される(暴力をふるわれる可能性もある)[2]。2002年、この小島で日本人女性の他殺遺体が発見されている[3]。島の私有を主張しているこの一族の男性2名が、小島への排除行動などを状況証拠として起訴されたが、物証がなく、証拠不十分として無罪判決となっている[4]。この殺人事件は未解決である[2]
出典^ 『ことりっぷ海外版 ニューカレドニア』昭文社、2015年、82頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-398-15477-4。 
^ a b裁判記録
^ 邦人女性を殺害か ニューカレドニア 47NEWS
^ 邦人女性殺害で無罪 仏領ニューカレドニア 47NEWS


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