紋章地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度28分21秒 東経08度34分03秒 / 北緯49.47250度 東経8.56750度 / 49.47250; 8.56750
9,253人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:1,571 人/km2
郵便番号:68549, 68239
市外局番:0621
ナンバープレート:HD
自治体コード:
08 2 26 036
行政庁舎の住所:Schlosstrase 9
68549 Ilvesheim
ウェブサイト: ⇒www.ilvesheim.de
首長:アンドレアス・メッツ (Andreas Metz)
郡内の位置
地図
イルフェスハイム (ドイツ語: Ilvesheim) はドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。人口約7700人のこの町は、総人口240万人のライン=ネッカー大都市圏の一部をなしている。
地理
位置と自然環境南側から見たイルフェスハイムの眺め。前景の川がネッカー川
イルフェスハイムは、ネッカー川が自然に大きく湾曲したその右岸側に位置する。この場所はオーバーライン地溝帯に含まれ、ライン=ネッカー大都市圏の一部をなす。大部分が、北側にネッカー運河が造られたことにより1920年代にできあがった島に位置している。その後、ネッカー川の河畔は野生化し航行不能となり、1987年に景観・自然保護地域に指定された。
町域の面積は、589ha強である。そのうち31.7%が住宅および交通用地(市街地)であり、6.8%が水域、58.7%が農業用地である。[2]
長期の北端はネッカー川の扇状地であり、さらに他に氾濫原が広がる。両者の多くは肥沃な土壌であり、収益の豊かな農耕地となっている。 イルフェスハイムは、南、西、北をマンハイムと直接境を接している。北東と東にはヘッデスハイム、ラーデンブルク、エーディンゲン=ネッカーハウゼンが接する。マンハイムの他にも、ルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインへは西に12km、ハイデルベルクへは南東に13kmと2つの大都市も遠くない場所にある。 自治体としてのイルフェスハイムにはイルフェスハイムの他、アッツェルブッケル住宅地、射撃場やぶどう園が含まれる。 西をハールト山地 1971年から2000年までのマンハイムの平均気温と平均降水量 1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月 イルフェスハイムは、766年3月14日付のロルシュ修道院への寄贈証書に「Ulvinisheim」村として初めて記録されている。村の名前の末尾が「-heim」なのは、フランケン風の地名である。この村の名前が、かつてこの地に住んでいた「Ulvinius」という人物の名に由来するのか、それともイルフェスハイム近郊でネッカー川に注ぐカンツェルバッハ川の別名「Ilbe」に由来するのかは、明らかでない。 このロルシュ修道院の所領は、1155年頃に皇帝フリードリヒ・バルバロッサによって彼の異母弟にあたる宮中伯コンラート プファルツ継承戦争の際、1689年にこの村は甚大な被害を受けた。1803年のプファルツ選帝侯廃止に伴い、イルフェスハイムはバーデン領となり、ラーデンブルク管区に属した。1863年からはベツィルクスアムト・マンハイムに移管されたが、これは後にマンハイム郡となった。 政治的には、帝国創設時の1871年から国民自由党がこの村の最有力政党であった。しかし、1890年頃にはSPDと中央党によって追い落とされた。
隣接する市町村
自治体の構成
気候
気温 (℃)1.82.76.610.014.817.619.919.515.410.25.22.9平均気温10.5
降水量 (mm)403846487374834956545553年間降水量668
歴史