イルクーツク
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イルクーツク
Иркутск


市旗市章

愛称 : イルー
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}イルクーツク (ロシア)ロシアの地図を表示イルクーツク (シベリア連邦管区)シベリア連邦管区の地図を表示イルクーツク (イルクーツク州)イルクーツク州の地図を表示イルクーツク (イルクーツク)イルクーツクの地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度17分 東経104度18分 / 北緯52.283度 東経104.300度 / 52.283; 104.300
歴史
建設1661年
行政
ロシア
 連邦管区シベリア連邦管区
 行政区画 イルクーツク州
 市イルクーツク
市長ルスラン・ボロトフ(ロシア語版)
地理
面積 
  市域277 km2
標高440 m
人口
人口(2021年現在)
  市域617,264人
  備考[1]
その他
等時帯イルクーツク時間 (UTC+8)
郵便番号664xxx
市外局番+7 3952
ナンバープレート38, 85
公式ウェブサイト : ⇒http://www1.irkutsk.ru/

イルクーツク(ロシア語: Иркутск, ラテン文字転写: Irkutsk イルクーツク、ブリヤート語モンゴル語: Эрх??, ラテン文字転写: Erhuu)は、ロシアシベリア連邦管区の都市。人口は61万7264人(2021年現在)で、イルクーツク州の州都である。モンゴル国境から約300キロメートル北にある。バイカル湖西岸内陸にあたり、イルクート川とバイカル湖から流れ出るアンガラ川(どちらもエニセイ川の支流)の合流地点の右岸に位置する。

シベリア鉄道が通り、ロシア極東地域ウラル中央アジアをつなぐシベリア東部の工商および交通の要衝である。ロシア正教会の大主教座が置かれ、劇場や図書館などの文化施設も充実している。また、街並みの美しさから「シベリアのパリ」と呼ばれることもある[2]
歴史イルクーツクの伝統的家屋ボゴヤヴレーニエ大聖堂

1652年コサックの一隊が毛皮をとるためにアンガラ川の河畔に設けた宿営地を起原とし、1686年に市としての勅許を得た。

古くから毛皮の集積地中国タシュケントとの国境交易の基地として使われてきた。18世紀末にイルクーツクに一時滞在した日本人・大黒屋光太夫は、「中国、朝鮮・満州などの人が交易におとずれ繁華な土地である」と述べている[3]

また、ロシア中央から囚人政治犯の送られる流刑地でもあり、1825年にはデカブリストの乱を起こした貴族たちはイルクーツクに流された。1863年にはポーランド立憲王国で反ロシア蜂起(一月蜂起)が起き、蜂起の参加者たちがイルクーツクに流された。市内にあるゴシック様式レンガ造りの教会は流刑にあったポーランド人たちが建設したカトリック教会である。

シベリアへのキリスト教宣教の拠点でもあり、イルクーツクのインノケンティ(ロシア語版)は、正教会では「イルクーツクの奇跡者聖インノケンティ」として聖人とされる。1898年にはシベリア鉄道がイルクーツクまで開通し、1904年ウラジオストクまで延伸された。

日本との関係も深く、最初にロシアを訪れた日本人である伝兵衛1701年にイルクーツクに滞在したのを皮切りに、多くの漂流者がこの地に永住し、前述のとおり大黒屋光太夫もこの街に往路・復路ともに滞在している。


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