「イルカ漁」はこの項目へ転送されています。追い込み漁以外の方法のイルカ捕獲については「捕鯨」をご覧ください。
フェロー諸島での追い込み漁の様子。追い込み漁は複数の船舶を用いる。ゴンドウクジラとみられる小型鯨類の群れを追い込んでいる。ゴンドウクジラはフェロー諸島の追い込み漁の主たる獲物である。
イルカ追い込み漁(イルカおいこみりょう、dolphin drive fishing, dolphin drive hunting)は、捕鯨の手法の一つで、クジラを対象とした追い込み漁である。いわゆるイルカと呼ばれるような小型の歯クジラに対して主に使われ、船と魚網で大海に至る抜け道を塞ぎ、入り江や浜辺に追い込んで捕獲する。「鯨類追い込み網漁」、「小型クジラの追い込み漁」などとも表現される。なお、日本などの古式捕鯨は、鯨の行先に網を仕掛け、勢子船で追い込む方法であるが区別し、また、本項目では、「小型鯨類の追い込み漁」又は単に「追い込み漁」、「漁」と記す。 世界の数箇所でこの漁獲方法により小型鯨類が獲られており、太平洋北西部の日本、オセアニアのソロモン諸島、大西洋のフェロー諸島や南アメリカのペルーで行われている。 捕鯨の方法としては、初期捕鯨時代から用いられてきたものである[1]。日本においては700年程前の中世には追い込み漁が行われていた。それに伴い、特徴的な民俗もあった。捕獲された小型鯨類は主に鯨肉・イルカ肉として食用にされるほか、一部は水族館などイルカショーなどの展示や研究用に使われる。 現代では、イルカの追い込み漁は、「鯨類追込網漁業」、「鯨類追込網漁」、「鯨類追い込み網漁」、「クジラの追い込み漁」、「小型クジラの追い込み漁」、「小型鯨類の追い込み漁[2]」、又は単に「追い込み漁」、「追込網漁」などと呼ばれる。また、日本の行政機関では、「追込網漁業」、「鯨類追込網漁業」や「いるか漁業」を公文書で用いている[3]。 「イルカ追い込み漁」は、”dolphin drive hunt”の訳で、江戸時代の肥前では単に「海豚漁」(「江豬漁」)と呼んだ[4]。明治時代は、港などにやってきた(迷入した)小型鯨類などの獲物を、和歌山県では「寄せ物」(よせもの)[5]、また、沖縄県では「ユイモン(寄せ物)」、岩手県では「浦入物」(うらいりもの)と呼び、岩手では獲物が港などにやってきたこと(回遊)を「浦入り」(うらいり:「イルカ浦入り」)と呼んだ[6]。 1950年代ごろのNHKの放送では、追い込み漁を単に「生け捕り」と呼んだ[2]。また、1960年頃の民間報道では追い込み漁を「イルカ漁」と称していた[7]。 なお、江戸時代の日本(紀州や九州)などで行われた大型鯨を対象にした古式捕鯨は、回遊する鯨の行先に網を仕掛け、勢子船で追い込む方法(網取式)であるが、それと追い込み漁とは慣習的に区別される。 デンマークには追い込み漁が行われてきた歴史がある。例えば、南デンマーク地域のガンボルグ・フィヨルド(da:Gamborg Fjord フェロー諸島では主にゴンドウクジラを食用にする目的で追い込み漁が行われる。公式にはこの種だけに限った漁である。又、タイセイヨウカマイルカも獲れ、又、稀に北ハンドウイルカやハナゴンドウといった種も獲れることもある[8]。地元ではこの漁は「グリンダドロップ」(Grindadrap ゴンドウクジラは東大西洋と中部北大西洋海域に77万8000頭が生息していると推定される。フェロー諸島では毎年約1,000頭のゴンドウクジラと、その他の小型鯨類が通常は数ダース、せいぜい2、3百頭までが消費されているが、その数は年によってかなり異なる[10]。1年間で消費されるゴンドウクジラの頭数は、生息数の継続的な維持を脅かすようなものでは無いと信じられている[11]。 2013年には、ゴンドウクジラとタイセイヨウカマイルカを合わせて1,534頭が消費された[8]。
概要
呼び名
追い込み漁の歴史のある国
デンマーク王国1893年のガンボルグ・フィヨルドでの小型鯨類の追い込み漁の風景を描いた絵。フェロー諸島の伝統食。黒いものがゴンドウクジラの肉。中央のピンク色のものは皮下脂肪層。
デンマーク
フェロー諸島
歴史
フェロー諸島の漁
Vestmanna