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(国旗)(国章)
国の標語:???? ????(アラビア語)
神は偉大なり国歌:?????(アラビア語)
我が祖国
公用語アラビア語、クルド語[注 1]
首都バグダード[注 2]
最大の都市バグダード
政府
大統領アブドゥルラティーフ・ラシード
首相ムハンマド・シヤーア・スーダーニー[1]
面積
総計437,072km2(57位)
水面積率1.1%
人口
総計(2020年)40,222,503[2]人(36位)
人口密度92.651[3]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年)201兆8280億6000万[4]イラク・ディナール
GDP(MER)
合計(2020年)1694億8800万[4]ドル(52位)
1人あたり4,223.218(推計)[4]ドル
GDP(PPP)
合計(2020年)3993億7600万[4]ドル(36位)
1人あたり9,951.455(推計)[4]ドル
独立
英国の委任統治からイラク王国として1932年10月3日
王政廃止、イラク共和国成立1958年7月14日
通貨イラク・ディナール(IQD)
時間帯UTC(+3) (DST:なし)
ISO 3166-1IQ / IRQ
ccTLD.iq
国際電話番号964
イラク共和国(イラクきょうわこく、アラビア語: ??????? ??????、クルド語: Komara Iraqe, ?????? ?????)、通称イラクは、中東に位置する連邦共和制国家である。首都はバグダードで、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接する。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国である。
概要[ソースを編集]
チグリス川とユーフラテス川流域を中心とする世界最古の文明メソポタミア文明(シュメール文明)を擁した地である[5]。8世紀のアッバース朝は首都をイラクのバグダードに置き[5]、貿易やイスラム教の中心地として栄えた[6]。アッバース朝衰退後の10世紀からは異民族支配を受け、16世紀からはオスマン帝国の属州となった[6]。第一次世界大戦でイギリス軍に占領され、戦後イギリス委任統治領メソポタミアとなった[5]。1932年に独立王国となり、1958年の軍部クーデター「7月14日革命」で共和制になった[7]。その後もクーデターが相次ぎ、1979年からサダム・フセインの独裁体制となった。クルド人自治問題、イラン・イラク戦争や湾岸戦争の敗北、経済制裁などの難問に強権で対処したが、2003年に米英軍の攻撃を受け、政権は崩壊[6]。2005年10月に国民投票によって新憲法が承認され[5]、以降、民主選挙による政府が樹立された[8]。しばらく治安対策や復興支援のために米軍駐留が続いたが、2011年に米軍が撤収した[5]。
民主化以降の政治体制は議院内閣制であり、議会は一院制で、州ごとの比例代表制および少数派を優先した全国区の比例代表制で選出される。任期は4年。元首である大統領は議会で選出され、大統領の任期も連動して4年である。大統領が任命する首相が行政権を握る[5]。
経済面では北部と北東部および南部で採掘される石油が豊富(世界5位)で、石油輸出が財政に占める割合が9割以上である[9][7]。特に近年は原油生産量が急速に上昇している[10]。同時に政府は石油依存体質からの脱却を目指している[9]。
2020年の米国CIAの調査によれば人口は約3887万人で、民族はアラブ人(シーア派約6割、スンニ派約2割)、クルド人(約2割、多くはスンニ派)、トルクメン人、アッシリア人などから構成される[9]。言語はアラビア語とクルド語が公用語である[6]。
地理としては国土の中心をなすのはチグリス川とユーフラテス川が潤すメソポタミア平原であり、「肥沃な三日月地帯」の東部を占めている[7]。北はトルコ、東はイラン、西はシリアとヨルダン、南はサウジアラビアとクウェートに接し、南部の一部はペルシア湾(アラビア湾)に臨んでいる[5]。
国名[ソースを編集]
正式名称はアラビア語で、???????????? ????????(ラテン文字転写は、Jumh?r?yatu l-‘Ir?q。読みは、ジュムフーリヤトゥ・ル=イラーク)。通称は、?????????(al-‘Ir?q、アル=イラーク)。