イブン=バットゥータ
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イブン・バットゥータ
イブン・バットゥータ
原語名??? ??? ???? ???? ?? ??? ???? ??????? ?????? ?? ?????
生誕 (1304-02-25) 1304年2月25日
タンジェ, モロッコ
死没1369年(64–65歳)
モロッコ
職業ウラマー法曹裁判官探検家地理学者、旅行家
時代中世
宗教イスラム教

イブン・バットゥータ(英語: Ibn Battuta[??b?nbat?tu?t??]、アラビア語: ??? ??? ???? ???? ?? ??? ???? ??????? ?????? ?? ?????‎, アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・アッ=ラワーティー・アッ=タンジー、1304年2月24日/25日 - 1368年/69年)は、マリーン朝のモロッコ人である。[1]。彼の旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』(???? ?????? ?? ????? ??????? ?????? ??????? tu?fat al-na??r f? ?ar??ib al-?am??r wa-?a???ib al-?asf?r、通称Rihla)にまとめられた広範にわたる旅行で知られ、30年間をかけ既知のイスラム世界、そして非イスラムの地を旅した。彼の旅した地には北アフリカアフリカの角西アフリカ東ヨーロッパ中東南アジア中央アジア東南アジア中国が含まれる。イブン・バットゥータは史上最も偉大な旅行家の一人と考えられている[2][注釈 1]
目次

1 来歴

2 出自と最初のハッジ

3 イラクとペルシア

4 アラビア半島

5 ソマリア

6 スワヒリ海岸

7 アナトリア

8 中央アジアと南アジア

9 南アジア

10 東南アジア

11 中国

12 帰郷とペスト

13 アンダルスと北アフリカ

14 マリとトンブクトゥ

15 旅行記

16 原稿と出版

17 イブン・バットゥータが語った主な地域、事物

17.1 1325年?1332年の旅程

17.2 1332年?1346年の旅程

17.3 1349年?1354年の旅程


18 著作

19 関連項目

20 脚注

21 脚注

22 参考文献

23 関連文献

24 外部リンク

来歴 イブン・バットゥータの旅程

1325年、21歳のときにメッカ巡礼に出発し、エジプトを経てメッカ(マッカ)を巡礼し、さらにイランシリアアナトリア半島黒海キプチャク・ハン国中央アジアインドスマトラジャワを経て中国に達し、泉州大都を訪問したとされる。1349年故郷に帰還したのちも、さらにアンダルシアイベリア半島)とサハラを旅し、1354年マリーン朝の都フェズに帰った。特にイスラームの境域地帯(スグール)を広く遍歴した。約30年に渡る大旅行のうち、8年間はインドのトゥグルク朝で法官として封土(5ヶ村)を与えられ、1年近くをモルディブの高官として過ごしている。インドやモルディブなど、12世紀以降にイスラーム王朝の支配が浸透した地域では、支配確立の為にイスラームの中心地帯の統治や法に関する知見を持つ人材が必要とされた[注釈 2]。バットゥータのインドにおける奉職も、そうしたニーズに応えるものだったと考えられる。

マリーン朝スルターンアブー・イナーン・ファーリスの命令を受けて、イブン・ジュザイイ(英語版)が口述筆記を行ない、1355年に旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』(???? ?????? ?? ????? ??????? ?????? ??????? tu?fat al-na??r f? ?ar??ib al-?am??r wa-?a???ib al-?asf?r、通称Rihla)が完成する。この旅行記は19世紀にヨーロッパにも紹介され、各国語に翻訳されて広く読まれた。

現在、タンジェには彼の名を冠した「イブン・バットゥータ通り」やイブン・バットゥータ国際空港があり、イブン・バットゥータの墓と伝えられる白亜の廟も建っている。
出自と最初のハッジ ハッジを実践する巡礼者たち。13世紀にバグダッドで出版された本の挿絵、アル・ワヒチ(Yahya ibn Mahmud al-Wasiti)による

イブン・バットゥータに関しては出自にしろ旅の記録にしろ自叙伝として伝えられている以外の情報はない。それによれば彼は1304年2月24日[4]/25日[5]マリーン朝の治世のモロッコタンジェのイスラム法学者、すなわちウラマーの一家に生まれている[5]。彼の家はラワータ(Lawata)として知られるベルベル人の部族の出身であると記されている[6]。このことから当時北アフリカで優勢だったスンナ派マーリク学派マズハブシャリーア)を修めたものと考えられる[7]。1325年6月、21歳のときに彼は巡礼、すなわちハッジのためにメッカを目指し故郷を発った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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