イブン・フィルナース
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2006年に開業したドバイの商業施設、イブン・バットゥータ・モール(英語版)の天井から吊り下げられたイブン・フィルナースの像[1][2]。21世紀現在、イブン・フィルナースはアラブ世界の科学技術を象徴する人物として視覚化されるに至っている[1]

イブン・フィルナース(Ibn Firn?s; 西暦810年 - 887年)は、イスラーム文化圏の9世紀イベリア半島百科学的知識人[3][4]ハカム1世とその息子アブドゥッラフマーン2世期の後ウマイヤ朝宮廷詩人であったが[3][5]、詩作や音楽といった分野よりも医術や工芸に秀でた[6][7]。現代ではむしろ、後ウマイヤ朝で活躍した代表的な「科学者[8]、とりわけ「史上初の飛行実験を行った人物」として認知されている[6][7]

名前について、より詳しくは、アブル・カースィム・アッバース・ブン・フィルナース・ブン・ウィルダース・タークリニー(??? ?????? ???? ?? ????? ?? ????? ????????‎)と伝わっており[3]、後世のヨーロッパ人にはアフェルナス(Afernas)というラテン名でも言及されることがある[8]
情報源

イブン・フィルナースは、イスラーム文化圏の9世紀イベリア半島、すなわち「アンダルス」を支配した後ウマイヤ朝の3代にわたるアミールハカム1世アブドゥッラフマーン2世、ムハンマド1世(英語版)に仕えた廷臣である[3][5]。長らく名前と没年程度しか情報がなく、どのような人物であったか、何をした人物か知られていなかったが、11世紀アンダルスの歴史家イブン・ハイヤーン(アラビア語版)の歴史書 al-muqtabis が再発見されたことによって、その強烈なパーソナリティが明らかになった[3][9]。19世紀中ごろ(1840年)には、17世紀北アフリカの歴史家マッカリーの著作 Nafh al-t?b が初めて校勘本の活字出版と西洋近代語への翻訳がなされる[9]。その後、アラブ主義者のアフマド・ゼキー・パシャ(英語版)がイブン・フィルナースの飛行実験の紹介に努めた(例えば、≪L’aviation chez les arabes≫ Bulletin de l’Institut Egyptien, Cinquieme serie, Tome V, annee 1911, Le Caire, Juin 1912)[6][9]
生涯1953年にチュニジアで発刊されたラマダーン月のカレンダー。アラブ世界に関する教養メモが毎日紹介されている。右ページの21日はイブン・フィルナースが自宅に設置した天体や雲の動きを模式的に示した仕掛けの話と、飛行実験の話を紹介している。

まずイブン・フィルナースの名前について。より詳しくは、アブル・カースィム・アッバース・ブン・フィルナース・ブン・ウィルダース・タークリニー(??? ?????? ???? ?? ????? ?? ????? ????????‎)と伝わっている[3]。そのため、本人の名前はアッバース、父祖の名前はフィルナース、ウィルダース(ただしレヴィ=プロヴァンサル(英語版)はワルドゥースと読んでいる)、長男の名前はカースィムという情報が得られ、さらにそこから、彼自身がベルベル系のイスラーム教への改宗者、マウラーであったことがわかる[3]

イブン・フィルナースの出身地は、ニスバよりタークルンナーのクーラ(k?ra of T?kurunn?)という場所、現代スペインのロンダのあたりである[3]。イブン・フィルナースの父祖は、アラブ=イスラーム教徒軍の最初のイベリア半島征服にしたがって、北アフリカからイベリア半島へ侵入したベルベル人であったと推定される[3]

イブン・フィルナースは、ウードを携えアッバース朝から後ウマイヤ朝に来朝し、当地の音楽を革新した楽人ジルヤーブ(英語版)と同時代人であり、同じコルドバの宮廷に仕える宮廷詩人であったが[3][5]、20世紀の科学技術史の専門家、リン・ホワイト(英語版)はむしろ、へぼ詩人、音楽も他人から教わる段階と書いている[6]。イブン・フィルナースには技術や工芸に関して奇想があったものと考えられ、彼が生きていた時代から750年も経ってからの情報源にはなるが、17世紀のマッカリーがイベリア半島に盛衰したムスリム政権の歴史を書いた歴史書には、彼のいくつかのエピソードが紹介されている[6][9]

マッカリーによると、イブン・フィルナースは石ころからガラスをつくる方法を発見した、一種のメトロノームを作成したとされる[6]。ガラスに関する記述は、水晶を磨いて原始的な凸レンズ(リーディング・ストーン(英語版))を作成したと解釈する学者もいる[7]。さらにマッカリーによると、イブン・フィルナースは自邸に星や雲を模したものを見せる一室を作ったという[6]。この部屋には床下に仕掛けがあり、見学者は雷鳴や稲光に驚いたという[6]
発明

イブン・フィルナスはアル・マカタ(Al-Maqata)と呼ばれる水時計を設計し、透明なガラスの製造法を考案して補正レンズ(通称「読む石」)を作り、また石英を切断する方法を開発することにより、切断のために水晶をスペインからエジプトに送ることを不要にした。

彼は気象制御のためのシミュレーション室を持っており、見学者を星、雲、人工で驚かせた[6][10]。彼がいかにして雷や天気を作り出したのかは不明であるが、これに電気が使われていなかったことは確実であろう。歴史学者のリン・タウンゼント・ホワイト・ジュニア(Lynn Townsend White, Jr.)によると、イブン・フィルナスは「メトロノームのような機械」も発明している[6]。また、イブン・フィルナスは原始的なオーニソプターを建造して飛行を試みている。
飛行

イブン・フィルナスは自ら向けて以下のような問いを書き残している。人の作った機械で、雁と同等の完璧さに達したものが、今までに存在しただろうか? ? [11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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