イピロス
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イピロス地方
Περιφ?ρεια Ηπε?ρου

ギリシャ
首府ヨアニナ
所属県アルタ県
ヨアニナ県
プレヴェザ県
テスプロティア県
知事Alexandros Kachrimanis
人口358,698人 (2005年現在)
面積9,203 km2 (3,553 sq.mi.)
人口密度39人/km2 (101人/sq.mi.)
公式サイト ⇒www.php.gov.gr/

イピロス(ギリシャ語: ?πειρο? / Ipiros、アルバニア語: Epiri)は、ギリシャ共和国の広域自治体であるペリフェリア(地方)のひとつ。歴史的な地名としては、現在のギリシャアルバニアにまたがるイオニア海沿岸の地域を指す (Epirus (region)) 。

古典ギリシャ語ではエーペイロス(?πειρο? / ?peiros)、ラテン語ではエーピールス(?p?rus)と呼ばれた。日本語表記では古典式の発音に基づく慣用形としてエピロスも用いられる。
地理イピロス地方
位置

現行の行政区画としてのイピロス地方(Περιφ?ρεια Ηπε?ρου)は、ギリシャの北西部に位置しており、西にイオニア海に面し、北にアルバニアと国境を接している。東はピンドス山脈を隔てて西マケドニア地方テッサリア地方と境を接し、南は西ギリシャ地方である。イオニア海にはケルキラ島などの島々が浮かぶが、これらは歴史的にイピロスの一部とはみなされず、イオニア諸島に属する。

ギリシャには地方区画の方法として、行政区画であるペリフェリア(地方)とは別に9つの「地理的な地方」があるが、地理的な地方としての「イピロス」はイピロス地方の範囲と一致する。

歴史的な「イピロス」は時代によって示す範囲が異なるが、おおむねバルカン半島西南部のイオニア海とピンドス山脈に挟まれた一帯、現在のアルバニアとギリシャとの間にまたがる地域である。現在の国境線は1913年に引かれたものであるが、歴史的に「イピロス」と呼ばれた地域を自国に帰属させようとする民族統一主義思想はギリシャ・アルバニアの双方に存在する。アルバニア側のギリシャ人が多く住んでいた地域は、おもにギリシャ人から「北イピロス(英語版)」と呼ばれる。
地勢ランドサット画像によるイピロス周辺

イピロス地方はそのほぼ全域が山岳地帯である。ペリフェリア東部を走るピンドス山脈は、ディナル・アルプス山脈から続く山脈であり、多くの支脈を有する。ペリフェリアの最高峰は北部にあるスモリカス山(英語版)(2,637m)であり、ピンドス山脈の最高地点でもある。スモリカス山周辺には、ティムフィ山(英語版)(2,497 m)や Lygkos山(2,249 m)がある。主要な山には、アルバニアとの国境に位置する最北東部のグラモス山(英語版)(2,523 m)、南東部のズメルカ山(2,356 m)、南西部のトマロス山(英語版)(1,976 m)、ヨアニナに近いミチケリ山(英語版)(1,810 m)がある。

イオニア海沿岸にあるが、低地と言えるような平地は、アルタプレヴェザを含むアンヴラキコス湾北岸の平野、パラミティア(英語版)・ファナリ(英語版)間のアヘロン平野、イグメニツァとサギアダ(英語版)間の平野程度しかない。

イピルス地方を流れる主要な川には、ピンドス山脈に源流を発して北東部を北西方向へ流れ、アルバニア領に入るアオウス川(アルバニア名: Vjose川)がある。このほか、中央部を流れてイオニア海に注ぐアヘロン川(古名: アケローン川)・ティアミス川(英語版)(カラマス川)、東南部を流れてアンヴラキコス湾に注ぐアラフトス川が挙げられる。石灰岩質の山塊は多くの峡谷を作り出しており、「世界で最も深い谷」とされるヴィコス峡谷(英語版)もイピルスにある。主要な湖沼にはヨアニナ湖(英語版)(パンボティス湖)があり、首府ヨアニナはそのほとりにある。

ヨアニナ県にはヴィコス・アオウス国立公園 (Vikos?Aoos National Park) やピンドス国立公園 (Pindus National Park) がある。

スモリカス山

ヴィコス峡谷

ピンドス国立公園

アラフトス川とアルタ橋

気候

ヨアニナ
雨温図説明

123456789101112
  130 80  116 101  98 133  76 176  67 2210  47 2713  29 3015  28 3015  55 2512  96 199  165 145  172 92
気温(°C)
総降水量(mm)
出典: ⇒climate-charts.com

インペリアル換算
123456789101112
  5.1 4632  4.6 5034  3.9 5537  3 6343  2.6 7250  1.9 8155  1.1 8659  1.1 8659  2.2 7754  3.8 6648  6.5 5741  6.8 4836
気温(°F)
総降水量(in)

イピロスは地中海性気候であるが、内陸部は高山気候である。イオニア海から吹く風によって、ピンドス山脈の風上側に広がるイピロスの降水量はギリシャの他の地域よりも多い。
主要な都市

イピロス地方最大の都市は、中部に位置する首府ヨアニナ(都市人口[1]61.629人、2001年国勢調査、以下同じ)である。イピロス地方の人口は、工業やサービス業が盛んなヨアニア周辺に集中している。

イオニア海沿岸部には、南部にアルタ(19,435人)およびプレヴェザ(16,321人)、西部にイグメニツァ(8,722人)がある。

プレヴェザ市街

イグメニツァ港

歴史
古代古代におけるエピロス周辺の諸部族。黒字はギリシャ人系、赤字はイリュリア人

「イピロス」の名のもととなった古代ギリシャ語の「エーペイロス」(?πειρο? / ?peiros、現地の西北方言やドーリア方言 (Doric Greek) ではアーペイロス ?πειρο? / Apeiros)は、「本土」「陸地」を意味していた[2]。これは、コリントス人たちが入植したイオニア諸島に対する呼称であったと考えられている。

最初期にギリシア人によって入植され、ドリス系ギリシア人が定住した。アドリア海沿岸に住んでいたイリュリア人と接していた。

イピロスは紀元前6世紀からアキレウスの子ネオプトレモスの子孫を称するモロッシア王朝により統治された。デルポイに次ぐ格式を有していたドドナの神殿・神託所によりギリシャ各地のポリスからも重要視されていた。イピロスの王アリュバースの姪オリュンピアスマケドニアピリッポス2世と結婚し、アレクサンドロス大王を生んでいる。

アリュバースの死後、アレクサンドロス1世アイアキデスが王位を継いだ。紀元前295年に王になったピュロスイタリア半島に侵攻し、南部イタリアおよびシチリア共和政ローマと争った(ピュロス戦争)。
ローマと東ローマの時代

紀元前3世紀になるとイピロスの王朝はマケドニアへの干渉を始めたが、紀元前2世紀には共和政ローマの侵攻にあい、紀元前168年ローマにより占領された。


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