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[全画面表示]イビデンの水力発電所の位置
1 西横山発電所(1915 - 1942年、およその位置)
2 東横山発電所(1921年 - )
3 広瀬発電所(1925年 - )
4 川上発電所(1931年 - )
5 西平発電所(1940 - 1942年)
イビデンの水力発電所(イビデンのすいりょくはつでんしょ)は、1915年(大正4年)に同社が「揖斐川電力」の社名で開業した時点から存在するもので、岐阜県西部の揖斐郡揖斐川町内、木曽川水系揖斐川とその支流坂内川に位置する。最大で5か所あったが、太平洋戦争中の戦時統制で2か所が電力会社に移管されて以降は3か所の運転を続ける。総出力は2万7900キロワット。
水力発電による電力の用途は、開業当初から戦前までの間は他社工場や他の電力会社への売電(電気供給事業)と電気炉工業が中心であった。電気供給事業は戦時統制のため1942年(昭和17年)に電力会社へ引き渡して廃業。炭化カルシウム・フェロアロイ製造などの電気炉工業もオイルショック後に打ち切られたが、それらに替わる主力事業となった電子部品・セラミックス製品の製造などに自社水力発電所の電力は充てられている。加えて2013年(平成25年)からは再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度 (FIT) を利用した電力会社への売電も開始された。
2016年(平成28年)6月にイビデンは電気事業法に基づく発電事業者となっており[1]、イビデンの水力発電所3か所は電気事業者の発電所として扱われている[2]。 イビデンが運転を続ける水力発電所は、東横山発電所・広瀬発電所・川上発電所の3か所である。順に1921年(大正10年)、1925年(大正14年)、1931年(昭和6年)に運転を開始した。発電所出力は3か所合計で最大2万7900キロワットで[2]、年間発電量は1億5778キロワット時に及ぶ(2020年度時点)[3]。この3か所に加え、戦時統制のため1942年(昭和17年)に手放した発電所に西横山発電所と西平発電所がある。前者は1915年(大正4年)、後者は1940年(昭和15年)に運転を開始した。 以下、イビデンが建設した5か所の発電所について、建設順にその概要を記す。イビデン株式会社は、1912年「揖斐川電力」として設立され、1918年に「揖斐川電化」、1921年に「揖斐川電気」、1939年に「揖斐川電気工業」と順に社名を改め、創立70周年の1982年より現社名を称するが、ここでは社名を「イビデン」で統一して解説する。 西横山発電所(にしよこやまはつでんしょ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧・藤橋村)西横山に存在した発電所である。イビデンが建設した5か所の発電所のうちこれのみ廃止されており現存しない。 大垣の戸田鋭之助ら会社発起人が1906年(明治39年)11月に水利権を得たことが建設の発端である[4]。1912年(大正元年)の会社設立ののち1913年(大正2年)11月19日に発電所起工式が挙行された[5]。1915年8月に土木工事が、10月に電気工事がそれぞれ完成[5]。そして11月中に仮使用認可を得て12月1日より送電を開始した[6]。当初完成した水車発電機は2台分だけであったが、追って翌1916年(大正5年)5月に残り2台分の工事も完了している[5]。発電所の認可出力は3900キロワットである[5]。 取水河川は夜叉ヶ池を水源とする揖斐川支流の坂内川(広瀬川)で、取水口を坂内村大字坂本字下田(現・揖斐川町坂内坂本)に設置する[7]。取水口からは全長4キロメートルの水路によって西横山字大曽根に設置する発電所まで導水される[7]。水車発電機は地下階に水車を、地上階に発電機を置いて、水車・発電機を繋ぐ軸を鉛直に配置するという縦軸式を採用[7]。水車形式は縦軸フランシス水車、発電機形式は三相交流発電機(容量1250キロボルトアンペア・周波数60ヘルツ)で、計4組の設置である[5]。 発電所建設に際し、イビデンでは初め水圧鉄管をドイツのマンネスマン 西横山発電所を起点とする送電線は、大垣市の大垣変電所とを結ぶ亘長約31キロメートル・送電電圧44キロボルトの路線が架設された[5]。後述の東横山発電所などとは送電系統が分けられており、下記電力会社への発電所出資節にて詳述するように、大垣変電所や送電線を含む送電系統ごと1942年(昭和17年)4月1日付で国策配電会社中部配電へと出資されてイビデンの手を離れた[8]。西横山発電所はその後1951年(昭和26年)の電気事業再編成で中部電力へと引き継がれたが[9]、建設省(現・国土交通省)による横山ダム(1964年完成)建設に伴いその湛水区域内に入るため[10]、1963年(昭和38年)6月に廃止された[9]。
発電所の概要
西横山発電所(廃止)