イバン・ロドリゲス
Ivan Rodriguezテキサス・レンジャーズでの現役時代
(2009年9月1日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコ自治連邦区ベガ・バハ(英語版)
生年月日 (1971-11-30) 1971年11月30日(52歳)
身長
体重5' 9" =約175.3 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1988年 アマチュアFA
初出場1991年6月20日
最終出場2011年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
テキサス・レンジャーズ (1991 - 2002)
フロリダ・マーリンズ (2003)
デトロイト・タイガース (2004 - 2008)
ニューヨーク・ヤンキース (2008)
ヒューストン・アストロズ (2009)
テキサス・レンジャーズ (2009)
ワシントン・ナショナルズ (2010 - 2011)
国際大会
代表チーム プエルトリコ
WBC2006年、2009年
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2017年
得票率76.0%
選出方法BBWAA選出
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イバン・ロドリゲス・トーレス(Ivan Rodriguez Torres, 1971年11月30日 - )は、プエルトリコ・ベガ・バハ(英語版)出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。愛称は、パッジ(Pudge - 「ずんぐりむっくりした体型」の意)、I-Rod。
1990年代以降のMLBを代表する捕手の1人。捕手として2427試合出場、ゴールドグラブ賞受賞13回は歴代最多の記録である。
長男のデレック・ロドリゲスは2018年に投手としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツでデビューした。 アマチュアの野球選手だった父親の影響もあり、幼い頃から野球一筋だった。少年時代は投手も務めており、後にメジャーでもチームメイトとなるフアン・ゴンザレスと同じリトルリーグに所属していた。当時は直球だけでノーヒットノーランを達成するほどの豪速球を投げていたという。その後、父親の勧めで捕手に転向、捕手としてもその強肩と打撃で注目を集めるようになる[1]。 1988年、16歳のときにドラフト外でテキサス・レンジャーズと契約。当時はスペイン語しか話せなかったが、英語を上達させ、それと共に成績を残せるようになった[2]。1991年6月20日のホワイトソックス戦で19歳でメジャーデビュー。ケビン・ブラウンとバッテリーを組み、盗塁を試みた走者2人とも刺すなどデビュー戦から強肩ぶりを発揮。MLB史上最も若い捕手として一躍注目を浴びた。相手のホワイトソックスの捕手は、元祖「パッジ」のカールトン・フィスクであった。また、この日は自身の結婚式が予定されていたが、突然メジャー昇格の知らせを聞き、婚約者を連れて球場入り。ロドリゲスはそのままスタメンに名前を連ねるというハプニングもあった[1]。 翌6月21日には、当時44歳でMLB最年長投手だったノーラン・ライアンとバッテリーを組み、19歳でMLB最年少捕手のロドリゲスとの25歳差バッテリーとしてこちらも話題を呼んだ[3]。デビュー1年目から随所に強肩強打を発揮し、新人王の投票数は4位だった。 その後はMLB屈指の捕手として君臨。1992年、リーグ最年少の選手となり(1991年はリーグ2位)、オールスターに初出場し、以後10年連続出場した。ゴールドグラブ賞を初受賞以後10年連続受賞。1994年から6年連続でシルバースラッガー賞を受賞した。1995年、打率.303を記録以後8年連続打率3割を達成。1996年には1930年にミッキー・カクレーンが記録した捕手のシーズン最多であった42二塁打を更新する44二塁打を記録し[4]、639打数も捕手としてのMLB新記録となった[2]。 ロドリゲス放出の可能性があったため、球団は1997年7月29日にジム・レイリッツ
経歴
プロ入り前
レンジャーズ時代
当時チームには同郷のフアン・ゴンザレスも在籍しており、2人を中心としてチームは1996年、1998年、1999年と3度の地区優勝を果たした。1997年にゴンザレスがウィンターリーグで故障したため、球団から出場を禁止されたが、反発し出場した[2]。1998年は5月9日まで打率4割を維持し、その後も首位打者争いをしたが、シーズン終盤に失速し最終的にリーグ8位の.321に終わった。1942年のアーニー・ロンバルディ以来となる捕手としての首位打者とはならなかった。
1999年に打率.332、35本塁打、113打点、25盗塁という成績を残し、アメリカンリーグMVPを受賞した。