イネ
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「稲穂」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「稲穂 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

この項目では、植物について説明しています。その他の用法については「イネ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

イネ
成熟期のイネ(長粒種
分類

:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 Angiosperms
階級なし:単子葉類 Monocots
:イネ目 Poales
:イネ科 Poaceae
亜科:イネ亜科 Oryzoideae
:イネ属 Oryza
:イネ O. sativa

学名
Oryza sativa
和名
イネ(アジアイネ)
英名
Rice
Oryza sativa

イネ(稲、稻、禾)は、イネ科イネ属の植物[1]名Oryza は古代ギリシア語由来のラテン語で「」または「イネ」を意味する。種小名 sativa は「栽培されている」といった意味である。収穫物は米と呼ばれ、トウモロコシコムギ(小麦)とともに世界三大穀物の一つとなっている。稲禾(とうか)、禾稲(かとう)などとも呼ばれる。
概要

イネ科イネ属の植物には23種77系統が知られている[2]。このうち20種が野生イネであり、2種が栽培イネである[1]。栽培イネの2種とはアジア栽培イネ(アジアイネ、Oryza sativa)とアフリカ栽培イネ(アフリカイネ、グラベリマイネ、Oryza glaberrima)である[1][3]。結実後も親株が枯れず株が生き続ける多年生型と、種子により毎年繁殖して枯れる一年生型があるが、2型の変位は連続的で、中間型集団も多く存在する[4]。原始的栽培型は、一年生型と多年生型の中間的性質を有した野性イネから生じたとする研究がある[4]。なお、いくつかの野生イネは絶滅したとされている[4]

アジアイネはアジアのほか、広くヨーロッパ、南北アメリカ大陸オーストラリア大陸アフリカ大陸で栽培されている[1]。これに対してアフリカイネは西アフリカで局地的に栽培されているにすぎない[1][5]。イネは狭義にはアジアイネを指す[3]

アジアイネには耐冷性の高いジャポニカ種(日本型)と耐冷性の低いインディカ種(インド型)の2つの系統がある[1][3]。また、これらの交雑による中間的品種群が多数存在する[3]
ジャポニカ種(日本型、島嶼型、Oryza sativa subsp. japonica)
日本朝鮮半島中国など温帯?亜熱帯の地域で栽培されている[1]。ジャポニカ種は温帯日本型と熱帯日本型(ジャバニカ種)に分けられる[1]
温帯日本型(温帯島嶼型)
主に日本や中国遼寧省で栽培されている[1]
熱帯日本型(ジャバニカ種、熱帯島嶼型、ジャワ型、Oryza sativa subsp. javanica)
中国南部などで栽培されている[1]。なお、ジャポニカ種(日本型)、インディカ種(インド型)、ジャバニカ種(ジャワ型)に並列的に分けられることもある[6][5]
インディカ種(インド型、Oryza sativa subsp. indica)
インドスリランカ台湾南部、中国南部、東南アジアなど熱帯・亜熱帯の地域で栽培されている[1]。インディカ種(インド型)はジャポニカ種(日本型)以上に分化している[1]

日本の農学者加藤茂苞による研究が嚆矢となったことから、彼の用いた「日本型」「インド型」という呼称が広く使われているが、両者が存在する中国では、加藤の研究以前からこれに相当する「コウ」(粳稻)と「セン」(?稻)という分類が存在している。中国では、淮河長江との中間地域で両者が混交し、長江以南でセン、淮河以北でコウが優占する。

加藤による命名が象徴するように、それぞれの生態型の栽培地域には耐寒性による地理的勾配が知られている。日本や中国東北部、朝鮮半島では主にジャポニカ種が栽培され、中国南部や東南アジア山岳部ではジャバニカ種が多く、中国南部からインドにかけての広い地域でインディカ種という具合である。ただし、こうした栽培地域の地理的分離は絶対的なものではなく、両方が栽培されている地域も広範囲にわたる。特に中国雲南省からインド島北部アッサム地方にかけての地域は、山岳地域ならではの栽培環境の多様性もあり、多くの遺伝変異を蓄積しているとされる。

栽培イネの祖先種とされるのはオリザ・ルフィポゴン(Oryza rufipogon)である[3]。このオリザ・ルフィポゴンの生態型には多年生型と一年生型があり、特に一年生型がOryza nivaraとして別種扱いされることもある。しかし、分子マーカーによる集団構造の解析によっても一年生型と多年生型が種として分化しているという証拠は得られていない[3]。なお、交雑が進んだ結果、今日では栽培イネから遺伝子浸透を受けていない個体群はインドやインドネシアの山岳地帯に残るにすぎない[3]

イネには亜種や近隣種が多いために予期せぬ雑種交配が起こることがある。特に、亜種の多様な東南アジアにおいては顕著である。日本では雑種交配を防止するため、耕作地周辺の頻繁な雑草刈りで予防している。

栽培イネではなく雑草として生じるものを雑草イネという[7]。こうした雑草イネは生態的および形態的特徴が栽培イネのそれと類似するため、駆除が極めて難しい。雑草イネは水田の強雑草で栽培イネの生育障害、脱粒、収穫種子に赤米として混入し品質低下を引き起こしている[8]。日本では乾田直播栽培で発生しやすい[8]。栽培稲の生産性を落とすだけでなく、栽培イネと交雑することで品質劣化を起こす。東南アジアでは特に顕著で、食用稲の生産性向上の課題となっている。一方で、祖先型野生稲は遺伝資源としての有用性も指摘されており[8]種子銀行などの施設での保存のほかに、自生地(in situ)での保全の試みもある。

栽培イネ以外ではO. officinalis(薬稲)が救荒植物として利用されることがある。
原産と伝播
原産地

約1万年前の中国長江流域の湖南省周辺地域。かつては雲南省の遺跡から発掘された4400年前の試料や遺伝情報の多様性といった状況から雲南省周辺からインドのアッサム州周辺にかけての地域が発祥地とされていた[9][10][11]

長江中流域では約12000~9900年前に稲の栽培が始まり炭化米,プラントオパールが各地の遺跡から出土している、約8000年前の宋家崗遺跡からは栽培稲が出土し約6500年前の遺跡では水田趾が発見されている、草鞋山遺跡のプラント・オパール分析によれば約6000年前にその地では品種として選択された形状の均質なジャポニカ米が栽培されており、インディカ米の出現はずっと下るという[12]。前4200年前に始まった寒冷化によって、前4000年以降次第に品種が多様化し長江流域から黄河中下流域や南方への拡散が始まった。野生稲集団からジャポニカ米の系統が生まれ、後にその集団に対して異なる野生系統が複数回交配した結果、インディカ米の系統が生じたと考えられている[9]
日本への伝播と普及

日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、いくつかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている[13]
江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、

江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、

南方の照葉樹林文化圏から黒潮に乗ってやって来た「海上の道」ルートである[14][15]

ただし、多様な伝播経路を考慮すべきとの指摘もある[16]。「稲作#日本国内での歴史」も参照

本格的に稲作が始まった時期は地域によって差があり、一説では最も早いのは九州西北部で弥生時代早期にあたる紀元前9世紀からとされ[7]、初期の稲作は用水路などの栽培環境が整備された水田ではなく、自然地形を利用する形態で低湿地と隣接する微高地を利用していたとされている[13][17]。杉田浩一編『日本食品大事典』によれば、水稲作の日本への伝来は縄文時代後期にあたる紀元前11世紀頃であり[5]、本格的な栽培が始まるのは近畿地方では紀元前2世紀頃、関東地方では2世紀頃、本州北端では12世紀[5]北海道では明治時代以降であるとされている[5]

しかし、近年、縄文時代前期の遺跡から複数のイネ科植物の遺骸であるプラント・オパールが出土している[3]。稲のプラント・オパールは20?60ミクロンと小さいため、雨水と共に地下に浸透することも考えられるため、即座に発見地層の年代を栽培の時期とすることはできないが、鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている[18]

現在日本で栽培されるイネは、ほぼ全てが温帯日本種に属する品種であるが、過去には熱帯日本種(ジャバニカ種)も伝播し栽培されていた形跡(2005年2月、岡山市の彦崎貝塚で、縄文時代前期(約6000年前)の土層からイネのプラント・オパールが多量に出土した。同市の朝寝鼻遺跡でも同時期の発見例があり、縄文時代前期から畑作によるイネの栽培が始まっていた可能性が高まった[19])ともみれるが、他地域で栽培されたものが持ち込まれた可能性も否定できないとの見解もある[20]。また、2008年国立歴史民俗博物館の研究者らは、岡山県彦崎貝塚のサンプルには異なった時代の付着物もあったことから、時代測定資料の選別は慎重に行うべきであるとしている[21]
形態イネの植物図

多くの節を持つ管状のを多数分岐させ、節ごとに1枚の細長い肉薄のを有する。また、葉の付け根には葉舌という器官がある。葉の表皮細胞(機動細胞・ケイ酸細胞)にはケイ酸が蓄積し、葉の物理的な強度を高めている[22]。枯れた葉などの有機成分土壌中で分解されるが、ケイ酸は分解されにくいためプラントオパールとして残存し、過去の生態や農耕の様子を調べる手がかりとして利用される[23]。薄手の葉が直立する草型のため、密集状態での受光効率が高い。稈は節の詰まったロゼット状になっており、生殖成長期になると徒長してを1つ付ける。栄養成長期と生殖成長期が明確に分かれており、穂を付けるのは稈を増やす時期が終了してからであり、(もみ)が成熟して生殖成長が終わると、ひこばえ(蘖)が生え再び栄養成長を再開する。

他殖性の風媒花であり、開花前に稈が徒長して穂を草叢から突き出すのは、開花時に花粉を飛ばしやすくするためである。ただし開花前に花粉が熟し、開花時にが破裂するため、栽培稲では98%程度が自家受粉する。開花時間は午前中から昼頃までの2-3時間と短い。花は、頴花(えいか)と呼ばれ、開花前後の外観は緑色をした籾そのものである。籾の先端には、しなやかな芒(ぼう)が発達する。


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