『イドメネオ』(Idomeneo)K.366は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1781年に作曲したイタリア語のオペラ・セリアである。 本作の正式なタイトルは、Idomeneo, re di Creta ossia Ilia e Idamante(クレタの王イドメネオ、またはイリアとイダマンテ)という。トロイア戦争後のクレタ島を舞台とした3幕のオペラである。台本はジャンバッティスタ・ヴァレスコによる。 1780年、ザルツブルクにいたモーツァルトは、ミュンヘンのバイエルン選帝侯カール・テオドールの宮廷から謝肉祭で上演するオペラの依頼を受けた。モーツァルトは11月にミュンヘンに赴き、歌手に稽古をつけながら作曲を進めた。翌年1月29日にミュンヘンのレジデンツ劇場で初演された。 24歳で書かれたこのオペラは、モーツァルトの最初の充実したオペラ・セリアとなり、熟達した管弦楽の音色、管弦楽伴奏付きのレチタティーヴォ、メロディラインを示している。しかし、ある面(合唱など)では実験的な劇に止まっており、筋を発展させるよりも、場面をつなぎ合わせたものとなっている。 台本の元になったのは、フランス人のアントワーヌ・ダンシェ作で、アンドレ・カンプラが1712年に作曲した5幕の作品。台本を書いたヴァレスコはザルツブルクのイタリア人司祭で、ダンシェの台本を短縮して編作した。ヴァレスコはいわば素人であり、モーツァルトは作曲中に何度も台本の変更を要求し、自らも修正した。結果として、モーツァルト自身が台本作成に深く関与した最初のオペラとなった。 1月の『イドメネオ』上演後もモーツァルトはザルツブルクに帰らずミュンヘンに長居し、3月に大司教コロレドの命でウィーンに赴いた。5月には大司教と決裂し、そのままウィーンに定住することになる。モーツァルトはこのオペラに自信を持ちウィーンでも上演しようとしたが、1786年にアウエルスペルク伯爵邸で演奏会形式で私的に上演されただけであった。ミュンヘンでの準備中に改訂が重ねられ、ウィーンでの上演でも改訂されたことから、このオペラにはさまざまな稿がある。 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス(チェロ、コントラバス)、通奏低音(チェンバロとチェロ) ピッコロとトロンボーンの有無およびホルンの数は稿によって異なる。 普通カットされる原典版による最後の長大なバレエを含めると約3時間20分(各60分、45分、95分)。バレエ無しでは約3時間。 舞台はクレタ島。トロイアの王女イリアはクレタに囚われていたが、イドメネオの息子イダマンテを愛していた。しかし、彼女はイダマンテに愛を告げるのをためらう。イダマンテはトロイアの捕虜を解放し、愛を拒絶したイリアに、父親同士が敵なのは自分のせいではないと語る。トロイア人とクレタ人はともに平和が訪れたことを喜ぶが、エレットラはイリアに嫉妬し、捕虜への慈悲を非難する。そこに、王の腹心アルバーチェが、王が帰還中に嵐に会って行方不明になったと伝える。
概要
登場人物
クレタの王イドメネオ:テノール
王子イダマンテ:ソプラノ・カストラート、ウィーン稿ではテノール、現在ではメゾソプラノによっても歌われる
イリア(トロイア王プリアモスの娘):ソプラノ
エレットラ(アルゴス王アガメムノンの娘):ソプラノ
アルバーチェ(王の腹心):テノール
大司祭:テノール
神託の声:バス
合唱
楽器編成
演奏時間
あらすじ
第1幕
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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