イトムカ鉱山
所在地
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所在地北海道北見市留辺蘂町(旧・常呂郡留辺蘂町)
国 日本
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度38分59秒 東経143度14分12秒 / 北緯43.64972度 東経143.23667度 / 43.64972; 143.23667
イトムカ鉱山(イトムカこうざん)は、北海道網走支庁(現・オホーツク総合振興局)管内常呂郡留辺蘂町(現・北見市留辺蘂町)にあった鉱山のことである。良質な水銀が採掘できる鉱山であり、最盛期の生産量は日本一であった[1]。
座標:イトムカ鉱山イトムカ区(元山)
北緯43度40分36秒 東経143度9分50秒 / 北緯43.67667度 東経143.16389度 / 43.67667; 143.16389
座標:イトムカ鉱山大町区 イトムカの語義は不明だが、アイヌ語でそのまま読めば i-tomka(それ・輝かす)とも、i-tom-muka(それが輝く無加川)とも、i-tom-utka(それが輝く早瀬)とも解釈できる。アイヌ語地名研究家の山田秀三は、「鉱物が光って見えたものだろうか」と疑問を呈している[2]。 1936年(昭和11年)の暴風雨の際、倒木の撤去作業中に、良質の辰砂を発見した。1941年(昭和16年)頃から、当時の野村財閥の資本にて本格的な採掘が始まる。主要鉱石が自然水銀という世界的にも珍しい鉱山であり(他の水銀鉱山においては辰砂が中心)、採掘機器の熱によって無機水銀中毒を引き起こす恐れのある水銀蒸気が発生したために防毒マスクを着用して採掘した(また、水銀蒸気に対する中和剤として硫黄合剤も坑内に散布された[3])。ただし、重労働による疲労と熱気などから、マスクを外してしまい無機水銀中毒にかかる者も多かったという。 一般的に辰砂が中心の水銀鉱山では、選鉱を行なわない(無選鉱)[4]か、行なっても手選鉱に留める事が多いのに対し、イトムカ鉱山では粗鉱中に自然水銀が多く製錬を経ずに水銀の収集が可能である事、粗鉱が湿り気を帯びた粘土質であり直接の製錬が困難である事などから製錬の前に浮遊選鉱による選鉱を必要とした[5](自然水銀の大半は浮選工程の前段階である湿式クラッシャーに設置された、水銀の比重を利用した自然水銀捕集器で採取され[6]、製錬を経ずに除塵され精製水銀として製品化された)。
北緯43度38分59秒 東経143度14分12秒 / 北緯43.64972度 東経143.23667度 / 43.64972; 143.23667
地名
歴史