イディ・アミン
Idi Amin Dada
1975年、国連総会にて
ウガンダ共和国
第3代 大統領
任期1971年1月25日 – 1979年4月13日
副大統領ムスタファ・アドリシ
イディ・アミン・ダダ・オウミー(Idi Amin Dada Oumee、1925年[1] - 2003年8月16日)は、ウガンダの軍人、政治家、第3代大統領。元帥、法学博士[2]の肩書も持つ。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンになったこともある。1975年にはアフリカ統一機構議長も務めた。 アミンは生涯を通じて自伝や公式の経歴を残さなかったため、出生地や出生日は不詳である。イギリスの植民地時代のウガンダで1925年頃にコボコかカンパラ生まれとする説が多数である。 マケレレ大学のフレッド・グウェデコ 軍歴
経歴
生い立ち
軍歴
イギリス植民地軍 王立アフリカ小銃隊
1946年王立アフリカ小銃隊
1947年二等兵 (Private)
1952年伍長 (Corporal)
1953年軍曹 (Sergeant)
1958年曹長 (小隊長)
1959年エフェンディ (准士官)
1961年最初のウガンダ人国王任命士官
中尉
ウガンダ軍
1962年大尉
1963年少佐
1964国軍副司令官
1965年大佐
国軍司令官
1968年少将
1971年国家元首
国防評議会議長
国軍総司令官
陸軍参謀長
空軍参謀長
1975年元帥
イディはボンボ(英語版)のイスラーム学校でコーランを暗唱、雑務を経て、1946年イギリス植民地軍の王立アフリカ小銃隊(英語版)に炊事係として雇われた[3]。その体格を生かし部隊内の体育大会で活躍し、衆目を集める。
ボクシングではヘビー級チャンピオンになったほか、白人ばかりのウガンダのラグビーチーム唯一の黒人選手として活躍し、植民地軍中尉にまで昇進する。ウガンダ独立後はミルトン・オボテに協力しムテサ2世を排除、ウガンダ軍参謀総長となった。 やがて独裁化が進むとともに約10万[5]から50万人[6]と推計される国民を大量虐殺したとして「黒いヒトラー」、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称され、少数民族、宗教指導者、ジャーナリスト、芸術家、官僚、裁判官、弁護士、学生、知識人、外国人などアミンの政策に異議を唱えた様々な人物が次々に粛清された[7]。
大統領
権力掌握(英語版)で権力を掌握。1970年代のウガンダに軍事独裁政権を樹立した。オボテが左派的政策を採ったため、アミンは冷戦下において左派政権の排除を望む西側諸国から期待されてクーデターを実行し成功し、クーデターを支持したイギリスやアメリカをはじめとする西側諸国や、イスラエル、反共的なザイールのモブツ・セセ・セコと友好的な関係を持った[4]。
政策