『イディオット』
イギー・ポップ の スタジオ・アルバム
リリース1977年3月18日
録音1976年7月-8月
エルヴィル城、エルヴィル=アン=ヴェクサン
ミュージックランド・スタジオ
イディオット
(1977年)ラスト・フォー・ライフ
(1977年)
『イディオット』収録のシングル
「シスター・ミッドナイト / ベイビー」
リリース: 1977年2月
「チャイナ・ガール / ベイビー」
リリース: 1977年5月
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『イディオット』(The Idiot)[注 2]は1977年3月18日にRCAレコードからリリースされた、アメリカ合衆国のロックシンガー、イギー・ポップのファースト・ソロアルバム。
同年にデヴィッド・ボウイとのコラボレーションによって制作された2枚のアルバムの1作目である[注 3]。
イギー・ポップの代表作の1つであり、収録曲の「ナイトクラビング(英語版)」、「ファン・タイム(英語版)」、「チャイナ・ガール」などが多くのミュージシャンにカヴァーされている[2]。 1974年から1975年にかけて、ロサンゼルスに住んでいたボウイは薬物依存やキャリア上の問題を抱えていたイギーの面倒を散発的に見ていたが、『ステイション・トゥ・ステイション』リリース後のツアー「アイソラー・ツアー」に臨む際、イギーを同行させることに決めた[注 4]。 北アメリカ大陸を西から東へ向かうツアーの中で、イギーは健康を取り戻すとともに、ボウイが興味を持ってよく聴いていたアンビエントやドイツテクノ 同年7月にツアーが終了すると、2人はフランス、ポントワーズのエルヴィル城に向かい、レコーディングを開始した[注 6]。エルヴィル城ではボウイ、イギー、カルロス・アロマーの他にメンバーとしてドラムスのミシェル・サンタンゲリ
プロダクション
経緯
レコーディング
その後、レコーディング場所をドイツ、ミュンヘンのミュージックランド・スタジオ(英語版)に移し、こちらで8月まで続けた[注 7]。
更にベルリンのハンザ・スタジオ「1」[注 8]に場所を移し、ボウイのレギュラー・バンドメンバーのアロマー、デニス・デイヴィス(英語版)、ジョージ・マレー(英語版)のパートがオーバーダビングされ、最終ミックスをトニー・ヴィスコンティが行った[1]。
ヴィスコンティは、レコーディングされたものはほぼデモテープのレベルで、ミキシングなどのポストプロダクションは「クリエイティブなミキシングというよりも救済(サルヴェージ)作業だった」と語っている[3]。 アンディ・ケントが撮影したアルバムカヴァーは、エンリッヒ・ヘッケル
エピソード
収録曲中最も有名な曲と言える「チャイナ・ガール」は元々は「ボーダーライン」と題されていた。イギーがベトナム人女性クエラ・グエン[注 9]に寄せた片想いの恋を歌った曲であり、曲中に出てくる主人公の「Shhh...」は当時イギーが自身の想いをグエンに告白した際のグエンの返答をそのまま引用したものだという[1]。この曲は1983年にボウイがリメイクしているが、リメイク版と比較して「出来立てのまま」「まだ表面を磨かれていない」と評されている[4]。
クラウトロックからの影響を受けていることをイギー、ボウイともに認めている「ナイトクラビング」は、イギーが後年回想したところによると、アイディアが浮かんだ時には彼ら以外のミュージシャンがスタジオから立ち去った後だったため、ボウイがピアノでメロディーを弾き、バッキングには古いリズムマシンを使用する形でレコーディングされた。ボウイはドラムを録り直すべきだと主張したが、イギーはこのままで良いと主張し、結果的にイギーの主張が通る形でファイナルトラックとされた。イギーによれば、「俺とボウイが夜な夜な出歩いていたことを歌ったような曲」であり、ボウイの「幽霊のように夜徘徊するさまを歌にしたらどうだ」という助言を受け入れる形で歌詞を書いた。作詞には10分程度しかかからなかったという。また、この曲のリフはゲイリー・グリッターの「ロックン・ロール」のパロディであるという点もよく指摘されている[1]。
「ダム・ダム・ボーイズ」はザ・ストゥージズのメンバーについて回想する曲であり、ジーク・ゼトナー(英語版)、デイヴ・アレクサンダー(英語版)、スコット・アシュトン、ジェームズ・ウィリアムソンに対するイギーのコメントが語られる[注 10][1]。 ボウイはこの時期、後に「ベルリン三部作」と呼ばれる作品群に取り掛かっていたが、本作はその1作目『ロウ』に先行してほぼ同じメンバー、スタッフ、スタジオで制作されたため「『イディオット』はボウイのベルリン時代の非公式な始まり」と呼ばれてきた[6]。 音楽スタイルでは、ザ・ストゥージズで志向していたギターリフを基調としたハードなロックンロールスタイルから離れ、クラフトワーク等のドイツのミュージシャンの電子音楽を引用し、全く異なったスタイルの確立に成功している[7][8]。 イギー自身は本作の音楽スタイルをリリース当時、「ジェームス・ブラウンとクラフトワークの出会い」と表現し[9]、全体のテーマを「自由なアルバム」と評している[10]。
スタイルとテーマ