イチロー
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「イチロー」のその他の用法については「イチロー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「鈴木一朗」はこの項目へ転送されています。その他の同名の人物については「鈴木一朗 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

イチロー(鈴木 一朗)シアトル・マリナーズでの現役時代
(2011年5月11日)
基本情報
国籍 日本
出身地愛知県西春日井郡豊山町[1][2]
生年月日 (1973-10-22) 1973年10月22日(50歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手[3]
プロ入り1991年 ドラフト4位
初出場NPB / 1992年7月11日
MLB / 2001年4月2日
最終出場NPB / 2000年10月13日
MLB / 2019年3月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


愛知工業大学名電高等学校

オリックス・ブルーウェーブ (1992 - 2000)

シアトル・マリナーズ (2001 - 2012)

ニューヨーク・ヤンキース (2012 - 2014)

マイアミ・マーリンズ (2015 - 2017)

シアトル・マリナーズ (2018 - 2019)

国際大会
代表チーム 日本
WBC2006年2009年
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獲得メダル
男子 野球
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2006
2009

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日[3] - )は、愛知県西春日井郡豊山町出身[1][2]の元プロ野球選手外野手)。右投左打。MLBシアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター[4][5][6]
概要

日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で通算28シーズンをプレーし、MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)[7][8]、プロ野球における通算安打世界記録保持者※一軍出場試合のみの記録(NPB / MLB通算4367安打でギネス世界記録に認定)[8][9][10]、最多試合出場世界記録保持者(NPB / MLB通算3604試合出場)[11]である。

様々な記録を打ち立て[12]、NPBで最多タイ記録となる首位打者を7回獲得し、パ・リーグ最多記録となる最多安打を5回獲得している。MLBでは史上唯一の10年連続で200安打以上を達成。アジア人史上唯一の首位打者盗塁王のタイトルを獲得。アジア人史上初のシーズンMVP(アジア人のシーズンMVP受賞は2001年のイチローと2021年・2023年の大谷翔平のみ)やシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞(10年連続)も受賞している。またアジア人史上3人目(日本人史上3人目、アジア人打者史上初)の新人王も受賞した。MLB1年目の2001年シーズンは、MVP,新人王,首位打者,盗塁王,シルバースラッガー賞,ゴールドグラブ賞のタイトルを同時に獲得している。また、このシーズンの242安打はMLB新人最多安打記録、打率.350もアメリカンリーグの新人最高打率記録である。

NPBでは首位打者7回、打点王1回、盗塁王1回、最高出塁率5回、最多安打5回などを獲得し、2000年オフに日本人初の野手としてMLBに移籍[注 1]。MLBでは首位打者2回、盗塁王1回を獲得した。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、コミッショナー特別表彰を受けた。2016年にはMLB通算で3000安打、500盗塁、さらにNPB/MLB通算でのプロ野球における通算最多安打数(ギネス世界記録[13]を樹立するなど活躍した。メジャーリーグにおいて日本人野手としてのパイオニア的な存在である。
経歴
生い立ち

愛知県西春日井郡豊山町出身。1973年10月22日鈴木宣之の次男として誕生。生後間もなく名古屋市守山区から西春日井郡豊山町へ転居[14]。2人兄弟の次男だったが、祖父「銀一」から「一」の文字を取り「一朗」と命名された。イチローと兄に限らず、祖父「銀一」の全ての孫の名には漢字「一」が付けられている。

豊山町立豊山小学校出身[15][16]。豊山小時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属。エース4番として活躍し、6年生の時には全国大会に出場した。小学3年生のころから、学校から帰宅後に近くの公園で父親と野球の練習をした。しばらくすると、飛距離が伸び場外本塁打を連発するようになったため、町内にある空港バッティングセンターに週6日から週7日通っていた。3年生の時には球速100 km/hの球を打っていたという[17]。バッティングセンターに通いつめるあまり、一般用の球速では満足できなくなり、イチロー用のスプリングを発注して、来た時に交換していた[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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