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イチジク
果実
分類
イチジク(無花果[2]、映日果、一熟[3]、学名: Ficus carica)は、クワ科イチジク属の落葉高木、またはその果実のことである。西アジア原産。果樹として世界中で広く栽培されている。小さな花が多数入った花嚢をつけ、雌雄異株で、雌株の花嚢が果嚢になる。これがいわゆるイチジクの果実とよばれており、古くから食用にされている。「南蛮柿」などの別名もある。[4]
リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである[5]。 「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見える[参 1] ことに由来する、中国で名付けられた漢語で[6]、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えている。中国では「映日果」を、無花果に対する別名とされた[6]。 「映日果」(インリークオ)は、イチジクが13世紀頃にイラン(ペルシア)、インド地方から中国に伝わったときに、中世ペルシア語「アンジール」(anj?r)[注 1] を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの[6]。通説として、日本語名「イチジク」は、17世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで「エイジツカ」とし、それが転訛したものとされている[6][参 2]。中国の古語では他に「阿?[参 3]」「阿驛」などとも音写され、「底珍樹」「天仙果」などの別名もある[要出典]。 日本には中国を経て来たという説と[7][8]、西南洋から伝わった種子を長崎に植えたという説とがある[7][8]。 伝来当時の日本では、はじめ「唐柿(からがき、とうがき[9])」、ほかに「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」[10]「唐枇杷(とうびわ)」などと呼ばれた[11][12]。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。 学名の属名 Ficus 落葉広葉樹の小高木[9]。日本では成長してもせいぜい樹高3 - 5メートルほどの樹であるが、条件が良ければ高さ20メートル、幹径1メートル以上にもなる落葉高木[11]である。樹皮は灰色で皮目があり、ほぼ滑らかで、年を経てもあまり変わらない[2]。枝は横に広がり、一年枝は太く、紫褐色や緑褐色で短い毛がある[2]。小枝には横長で筋状の托葉痕があり、しばしば枝を一周する[2]。 葉は大型の3裂または5裂する掌状で互生する[14]。日本では、浅く3裂するものは江戸時代に日本に移入された品種で、深く5裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると白乳汁が出る[14]。 花期は6 - 9月[9]。新枝が伸びだすと葉腋に花を入れた袋である花嚢
名称
形態・生態
栽培イチジクの栽培品種は、結実に雌雄両株が必要な品種群が原産地近辺の地中海沿岸や西アジアでは古くから栽培されてきたが、受粉して雌花に稔性のある種子が形成されていなくても花嚢が肥大成長して熟果となる品種もあり[14]、原産地から離れた日本などではこうした品種が普及している。イチジク属の植物は自然では花嚢内部にはイチジクコバチ(英語版)などのイチジクコバチ属Blastophaga spp.の蜂が共生しており[15]、雌雄異株の種では雄株の花嚢に形成される雌花の受精後の種子全てを、雌雄同株の種では花嚢内の雌花の柱頭の長短で2群に分かれるもののうち、柱頭の短い型のものに形成される種子を幼虫時代の食物として繁殖し、雄花の花粉を体の花粉収納器官に収めた交尾後の雌が、若い花嚢に潜り込んで花粉を散布することで受粉を媒介する。日本で栽培されているイチジクのほとんどが、果実肥大に日本に分布しないイチジクコバチによる受粉を必要としない単為結果性品種の雌株である[15]。
果期は8 - 10月[2]。