イタリヤード株式会社
Itariyard Co., Ltd.イタリヤード旧本社ビル(現・御池幸登ビル)
種類株式会社
市場情報京証 3602
1995年6月6日 - 2000年3月1日大証2部(廃止) 3602
1995年6月6日 - 2002年2月6日
本社所在地 日本
〒604-0022
京都府京都市中京区室町通御池上ル御池之町324番地1
設立1976年7月5日
業種小売業
事業内容レディース及びメンズウェアの企画・販売
代表者破産管財人 小野誠之
資本金20億8,000万円
売上高179億6,200万円(1996年7月期)
経常利益22億3,200万円(1996年7月期)
従業員数190名
決算期7月
主要子会社ジック、アイティネットワーク
外部リンク ⇒http://www.itariyard.co.jp/
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イタリヤード株式会社(英: Itariyard Co., Ltd.)は婦人服を主体に取り扱っていたアパレル会社。オリジナルブランドのレディースカジュアル衣料を中心に、アクセサリーの輸入販売を手がけていた。
独自のフランチャイズを作り上げて急成長し、大証2部へ上場したが、焦げ付きや経営不振などの事由から、2002年(平成14年)に自己破産した[1]。
概要
順調な滑り出しから権限委譲まで[注 1][2]に勤めていた北村陽次郎
1980年(昭和55年)に発売開始した「フロリダキーズ」を皮切りに、約6年間で主力となるオリジナルブランドを逐次投入[注 4]。原色を多用したイタリア調のカジュアルデザインながら[8]、海外品に比べて求めやすい価格で提供され人気を博した[9]。加えて、東京、福岡、大阪に相次いで拠点オフィスを開設し[10]、北村自身が芸能事務所やテレビ局を足しげく通いつめて、芸能人や局アナに衣装を提供した。これが若い女性の購買意欲を刺激し、創業10年目の1986年(昭和61年)7月期には売上を47億円に伸ばした[11]。
「ワンマン経営と悪口を言われることがいやだった」[注 5][12]北村は、創業8年目前後から権限委譲を始め、創業10周年を迎えた1987年(昭和62年)7月期より、商品企画から営業、商品管理までをすべて従業員任せにした[9]。それまで「自分で決め、自分でモノをつくってやってきた」、つまり売れる商品を自ら企画し、予想のおよそ7掛けの数量で加工を指図し、それが売れたら即時に追加注文できる体制[注 6]をつくってきた北村のやり方[13]と異なり、得意先小売店の意向に沿った商品を企画加工し、それを展示会で販売するだけの、いわば権限を委譲された従業員自身は何らリスクを取らない方式に置き換わった。いきおい商品は多品種少量生産となり、製造コストの上昇を引き起こす一方で、売れ残りや返品が想定以上に積み上がる結果を招いた[注 7][14]。北村が社長として唯一担当する投資においても、従業員の提案で渋谷に開業したレストランの採算がとれず、本業の足を引っ張ることとなった[注 8][15]。その結果、1987年7月期は創業以来初の経常赤字に転落。翌1988年7月期と2期連続で赤字が続き[16]、北村をして「明日にも倒産」[6]と表現できるほど、資金繰りに窮する事態に陥った[注 9][9]。 北村は自ら営業部長を兼任し、北村曰く「鬼の社長に変身して」再び営業全般を統括管理し[17]、現場の従業員や顧客から話を聞きまわった[注 10][18]。合わせて1987年6月に四条河原町にオープンした直営の小売店「アンドレルチアーノ」を社長直轄とし、自ら店頭に立ちながら1年がかりで商品の品揃えから売上に至るまでのデータを収集し、分析を進めた[15]。その結果、「KDD、つまり勘と度胸と丼勘定に頼るアパレル業界の常識を破らなければならない」[19]、「人間の勘に頼ったアナログ発想から、数値化した販売情報に基づくデジタル発想に切り替えねば」[20]と痛感。また、業界の慣習である得意先の意向に沿った商品展開に触れ、「リスクを持てるものがリーダーシップを握るべき」[21]との思いを強くし、「店に置く商品はイタリヤードが選び、返品も値引きもイタリヤードが責任を持つ」独自のフランチャイズ(FC)を考え出した[22]。 1988年(昭和63年)より、百貨店のインショップ[注 11]を含めた10店舗でオリジナルブランドに係るFCを開始した[23]。イタリヤードにおけるFCは、「イタリヤードはFC店にブランド商品を販売し、FC店は専属に扱う。値引きも返品もイタリヤードが受ける」との内容に尽きる。通常取引ではFC店の粗利は35%、1月および7月のバーゲン時には在庫商品を3-4割引で販売してもらう代わりに、FC店の粗利は30%と設定した[24]。一般的なFCの概念と大きく異なり、イタリヤードはFC店から粗利から歩合を取ることも、ロイヤルティーを取ることもしなかった[25]。在庫リスクはイタリヤードが負うため、POSシステムを導入してフランチャイジー(FC店)の商品販売状況を即時に把握できるようにし、売上実績に基づくデータから店舗規模によって出荷パターンを数種類用意し、人の手を介さず追加発注指図を出すシステムをつくり上げた。1990年(平成2年)にはイタリヤード、FC店、協力工場、物流センターをオンラインで結ぶネットワークをつくり[15]、発注に伴う物流業務を外部業者に委託[26][27]することで、FC店は接客に専念できる環境が整った[注 12]。 また北村は、今般の経常赤字転落の要因は「安直なアパレル業界の常識に沿った、多品種少量生産(多品種、小ロット、短サイクル)」にあり[注 13]、「販売動向を分析してみると、定番商品がよく売れている。売れ筋や過去のアレンジ品に生産を絞り込み、中品種多量に転換することで売上予測は立てられる」と判断[28]。
イタリヤード独自のFC構築