イタリア系アメリカ人Italian American
Italoamericani
上段左から
ルドルフ・ジュリアーニ、ナンシー・ペロシ、フィオレロ・ラガーディア
シルヴェスター・スタローン、マーティン・スコセッシ、ブライアン・デ・パルマ
フランク・シナトラ、サミュエル・アリート、レディー・ガガ
総人口
17,800,000人[1]総人口の5.9%(2009年調査)
居住地域
アメリカ合衆国北東部、フロリダ州、アメリカ西海岸、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ロードアイランド州、コネチカット州、フィラデルフィア、シカゴ、サンフランシスコ、マイアミ
言語
アメリカ英語、イタリア語、シチリア語、ナポリ語(イタリア語の方言
イタリア系アメリカ人(イタリアけいアメリカじん、英語:Italian American 、イタリア語:Italoamericano )は、イタリア出身者かその子孫で、アメリカ合衆国の国籍を持つ人々のこと。
他のヨーロッパ系移民に比べてイタリア系移民は比較的少数派であり、合衆国の人口全体の約5.9%にあたる1780万人ほどである。 アメリカ合衆国にとって最大の危機であったアメリカ南部連合国の独立と南北戦争において、イタリア系移民は北部と南部の二つの連邦にそれぞれ加わっていた。 北部の合衆国政府に属したニューヨーク州にはアイルランド系と並んでイタリア系も多数住んでいた事から、ニューヨーク州軍は主にアイルランド系兵士とイタリア系兵士から編成された。その中でも特に第39ニューヨーク志願歩兵連隊
歴史
イタリアとアメリカの繋がり.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}が望まれています。
初期移民と南北戦争
南部の連合国政府では幾つかの少数移民グループを纏めた第10ルイジアナ義勇歩兵隊(英語版)が結成されたが、この部隊にはガリバルディ軍にリソルジメントの最終局面で破れた両シチリア王国の元兵士達が参加していた。彼らはロバート・E・リー将軍の北バージニア軍に加わり、「リーの異国人軍(Lee's Foreign Legion)」の通称で呼ばれた。
総勢で5000名から1万名のイタリア系移民が南北戦争に従軍したと記録されている。 前述のとおり15世紀にアメリカ大陸に渡っていたイタリア人も大勢いたが[要出典]、多くは1880年代からの移民である。イタリア統一が達成された後、その母体となったサルデーニャ・ピエモンテ王国の人材(ピエモンテ閥)を中心とした統治体制において、旧両シチリア王国に属したイタリア南部や島嶼部の住民は冷遇される日々を送っていた。ブリガンテ
イタリア南部からの移民
全てのイタリア南部からの移民者が定住を望んだわけではなく、少なくない人々は一時的な出稼ぎとして北米に出向き、一財産を築いて故郷に錦を飾る者も大勢いた。老年まで定住して移民先に子供や孫を儲けた場合でも、老人になってからの余生はやはりイタリア本国で過ごそうと帰国する傾向が南部移民1世には見られた。また初期の時点ではイタリア北部・中部からのブラジル・アルゼンチンなど南米への移民者も同程度存在し、イタリア国家全体にとって移民送出の時代といえた。
イタリアがドイツと同じく集権国家が建設されて間もない時期に移住した移民1世たちは同じ県(統一直後のイタリア王国は州制度を採用していなかった)や市町村(コムーネ)で更に分化されたネットワークを形成した他、親子兄弟はもちろん叔父叔母や従兄弟など親族を呼び集めて集団移住を図るケースも多かった。他の白人(特にドイツ系・イギリス系・フランス系など初期の移民者)に比べ仕事・収入が限られていたことなどもあり、大抵は貧民窟と化していた。