イタリア・ルネサンス年表(イタリア・ルネサンスねんぴょう)では、主に「イタリア・ルネサンスの文化」に関する年表を示す。 1300年代(トレチェント Trecento)
1300年 - 1399年
1300年 - 教皇ボニファティウス8世の回勅「アンティクオルム・ハベット・フィダ・レラティオ」。回勅で教皇はこの年を最初の「聖年(Iobeleus)」として祝福し、特別の赦しを求めてローマを多くの巡礼者が訪れる。
1300年 - 『神曲』では、この年の聖金曜日、ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、地獄・煉獄・天国遍歴が始まる。
1300年 - ダンテに先行する清新体の詩人で友人でもあったグイド・カヴァルカンティ死去。
1301年 - 教皇派(ゲルフ)支配のフィレンツェで、白党(ビアンキ)政権が黒党(ネリ)に倒される。白党に属していたダンテ、フィレンツェ市から追放され、以後流浪生活を送る。
1301年 - ハレー彗星の出現が観測される。ジョヴァンニ・ヴィッラーニはその年代記に記録し、ジョットはパドヴァの壁画「東方三博士の礼拝」にその様子を描く。
1302年 - 教皇ボニファティウス8世の回勅「ウナム・サンクタム(唯一聖なる)」。
1302年 - カルタベロッタの和約が結ばれる。シチリアの晩祷事件(1282年)以来のシチリア領有をめぐるアラゴン家とアンジュー家の抗争が終わる。
1302年 - ジョットの師であり、フィレンツェ派の遠祖でもあるチマブーエ死去。
1302年 - 【フランス】国王フィリップ4世が三部会を召集。
1302年 - 【フランドル】ブリュージュの朝課事件で、フランドル市民がフランスの支配に抵抗して一斉蜂起。続く同年の金拍車の戦い(コルトレイクの戦い)でフランドルは最終的に独立を勝ち取る。
1303年 - ローマ大学創建。
1303年 - アナーニ事件で、教皇ボニファティウス8世がフィリップ4世の配下ギヨーム・ド・ノガレらに急襲される。ボニファティウス8世は釈放されたが、屈辱を受けて病状が悪化し間もなく死去、後継はベネディクトゥス11世。
1304年 - 教皇ベネディクトゥス11世死去、後継教皇の選出は翌年にもつれこむ(→1305年)。
1305年 - フランス人のボルドー大司教ベルトラン・ド・ゴが選ばれ、教皇クレメンス5世として即位(→1308年) 。フランスのリヨンで行われたこの教皇の戴冠式で初めて教皇冠(三重冠)が用いられる。
1306年 - フランシスコ会修道士で「讃歌(ラウデ)」などの宗教詩で知られるヤコポーネ・ダ・トーディ死去。
1307年 - 教皇クレメンス5世の命でノヴァーラ近郊のドルチーノ派の拠点を教皇軍が急襲。異端とされた修道士フラ・ドルチーノと支持者は火刑に処される。
1307年 - ダンテ『俗語論』。
1308年 - 教皇庁のアヴィニョン捕囚(-1377年)。
1308年 - 【ドイツ】後期スコラ哲学を代表する実在論者ドゥンス・スコトゥスがケルンにて死去。
1308年 - ローマ派のピエトロ・カヴァリーニによりナポリのサン・ドメニコ・マッジョーレ教会壁画完成。
1308年 - ペルージャ大学創建。
1309年 - 聖ヨハネ騎士団が東ローマ帝国領ロドス島を占領。これ以前の騎士団の根拠地はキプロス島、以後この騎士団はロドス騎士団とも呼ばれる(-1522年)。
1310年 - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世のイタリア遠征(→1312年)。
1310年 - ヴェネツィアでバイアモンテ・ティエポロ(三代前の元首ロレンツォ・ティエポロの孫)らによるクーデターが起こる。元首ピエトロ・グラデニーゴの改革(1297年)に反対するクーデタだったが、グラデニーゴが先手を打って鎮圧する。