イタオマチ??(アルファベット表記:ita-oma-cip)とは、アイヌが伝統的に建造し、航海に使用していた舟艇である[1]。 名称は、アイヌ語で「板のある船」を意味するイタ・オマ・チ??に由来する(イタは、日本語「板」からの借用語)。カツラやセンノキなどの大木を刳り抜いた丸木舟に舷側板を取り付けることで大型化させた、縫合船の一種である[1]。アイヌは一般的に河川や湖沼など内水を航行する場合は大木を刳り抜いただけのチ??(丸木舟)を用いたが、他地域との交易などで海上を航行する際は、このイタオマチ??を用いた[1]。この技法による船は、日本ではアイヌ以外の地域からは知られていない[2]。 以下は、江戸時代後期に秦檍麿 まず山中に分け入り、大木を探し求める。用材として適当な木を見出したら、樹下に祭壇を組み、カムイノミを行う。山の神、木の魂にイナウを捧げ、用材を得る許しを求めて祈る。その上で伐倒し、丸太をその場で適切な長さに切断した上で掘削作業に入る[1]。 イタオマチ??の構造の基本は、舟敷となる丸木舟である。一般的に「木の北側は日が当たらず成長が遅いので、年輪が詰まり、木質も硬くて重い」とされるため、伐倒以前の木が北向きだった部分が「船底」として設計される。作業に都合がいい位置に丸太を回転させた上で掘削作業に入る[5]。工具には伐採用の斧のほかに、モッタと呼ばれる小型のちょうな、あるいは研ぎあげた鍬が用いられる[1]。 船底部分の大まかな形が削り上がったら、山中からおろして村落に運び込み、刳り抜いた内部に横木を嵌め込むことで舷側部分が内側に倒れ込む失敗を防ぐ。同時にムシロなどを巻いて急激な乾燥を避けつつ寝かせ、狂いが収まるのを待つ。その上で船内に水を注いで「水平」を確かめ、完成時の外観や用途をイメージしつつ、丹念に削りなおして修正する。 舟敷が完成したら、チ??ラ??イタ(舷側板。直訳すれば「舟の翼の板」)、や艫、舳部分に取り付ける板、さらに板を船体に取り付けるためのテシカ(縄)を用意する。この縄の素材にはニベシ(正確な発音はニペ?。シナノキの樹皮)、エゾヤマザクラの樹皮、クジラの髭の3種類があり、北海道太平洋沿岸ではシリキシナイ(現在の函館市恵山町)からビロウ(広尾町)までの地域はニベシや桜の樹皮が使われ、ビロウからクナシリ(国後島)までの地域ではクジラの髭が多く使われた。 まず基礎となる舟敷の舷にいくつもの孔を穿って縄を通し、その縄を舷側板にも穿っておいた孔に通すことで縫い付ける。新たな舷側板をあてがうことを繰り返し、船体の大まかな形を模る。板同士の隙間には苔を詰め込んで漏水を防ぐ。船体が完成したところで、船首にイナウを捧げ、船魂を祀る儀礼・チ??サンケを執り行う[1]。こうして作られた船体の大きさは200石積みの和船と同じくらい(約20トン)となる。ウイマム(松前藩主との謁見行事)に赴く際の船はウイマムチ??と呼ばれ、特別な儀装が成される。札幌市南区小金湯の札幌市アイヌ文化交流センター(サッポロピ?カコタン)に展示されたイタオマチ??(復元品)の舳先部分。木製の鎖で儀装されている イタオマチ??の推進具は、カンヂと呼ばれるオールである。柄の中途に孔が開けられ、その孔をイタオマチ??の舷に取り付けた突起「タカマヂ」にあてがうことで固定する。和語で「車櫂」と呼ばれるシステムである。船体の胴の間にはカヤニ(帆柱)を船の進行方向と直角になる位置で2本立て、その間にカヤ(帆)を張る。帆の材料は、シキナ(ガマ)で編んだゴザが用いられる。
概要
造船法
用材伐採
船底造り明治20年代の、アイヌの丸木舟。イタオマチ??は、丸木舟に舷側板を継ぎ足した構造である
舷側板張りロープで板材を綴り合せる(北海道博物館)
推進具
その他、付属品イタオマチ??の碇
Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef