イソップ物語
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1867年に刊行された英訳本

『イソップ寓話』(イソップぐうわ、古希: Αισ?που Μ?θοι)は、アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話を集めたとされる寓話集。特に動物(下記を参照)、生活雑貨(例えば、瀬戸物と金物など)、自然現象(太陽と風)、様々な人々(旅人など)を主人公にしたものが有名で、イソップ物語・イソップ童話等と呼ばれることもある。
目次

1 成立

2 翻訳

3 主なイソップ寓話

4 関連作品

5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

成立 Aesopus moralisatus, 1485

ヘロドトスの『歴史』によると、紀元前6世紀にアイソーポスという奴隷がいて寓話を使いその名声をえたとされている。現在のイソップ寓話集と呼ばれるものには、アイソーポスのものだけではなく、それ以前から伝承されてきた古代メソポタミアのもの、後世の寓話、アイソーポスの出身地とされる(小アジア)の民話を基にしたものも含まれている。考古学的には、彼の歴史的な存在を確認するものはなく、ホメロスと同じような過程で、ギリシャにおいて、いつの頃からか、この名が多くの寓話を語る者たちや寓話そのものの総称となっていったと考えられている。

ギリシア語の原典があったのかは不明で、現存するのは後世に編集された寓話集である。バブリウスの古代ギリシャ語(古希)の寓話詩集やファエドルス、アヴィアヌス、ル・ピュイのアデマールによるラテン語の寓話集である。現在の寓話についている解釈は、これらの古典的寓話集が、ギリシャ語やラテン語を読むキリスト教の学者によって受継がれて来た事、中世ヨーロッパでのキリスト教の価値観を持った寓話をさらに含むことで、単なる娯楽的な寓話から教訓や道徳をしめす教育的な意味を付加されている。
翻訳

英語のテクストで最初に出版されたのは、ハイリッヒ・シュタインヘーベルのドイツ語?ラテン語バイリンガル寓話集を原本にしたもの。ウィリアム・カクストン1484年中英語のものから、その後1692年にロジャー・レストランジェがより現代英語に近い近代英語で改版した。ほぼ同じ頃、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌフランス語で寓話を発表したが、これは、彼自身が前書きで書いているようにイソップ寓話の翻訳ではないので、彼の文芸作品として、ラ・フォンテーヌ寓話と呼ばれている。

日本では、1593年文禄2年)に『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』として紹介されたのが始まりで、これはイエズス会宣教師ラテン語から翻訳したものと考えられており、天草にあったコレジオ(イエズス会の学校)で印刷されたローマ字のものである。非常に古くに日本に取り入れられた西洋の書物といえる。その後江戸時代初期から『伊曾保物語』として各種出版され、普及し、その過程で「兎と亀」などのように日本の昔話へと変化するものもあらわれた。内容は現在のイソップ寓話集と異なる話も収録されており、さらに宣教師向けの『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』と、読み物としての『伊曾保物語』の間にも相違が見られる(16世紀末の日本における宣教師の出版についてはキリシタン版を参照)。

明治になってから英語からの翻訳が進み、幕臣出身の学者で沼津兵学校校長だった渡部温の『通俗伊蘇普物語』(現在、東洋文庫にて入手可能[1])がベストセラーとなり、修身教科書にも取り入れられた事から、広く親しまれるようになった。

翻訳書が刊行されるにあたっては、タイトルには通常「イソップ寓話」を筆頭に、冒頭に書かれたようなものが用いられることが多い。しかし、アイソーポス(イソップ)が実在した人物であるのかが不明であることから、一部では、「イソップ風寓話」といった表現をタイトルに据えるものもある。
主なイソップ寓話 「アリとキリギリス」。Milo Winterのイラストレーション (1919)

アリとキリギリス(アリとセミ、アリとセンチコガネ)

蟻と蛹

ありとはと

田舎のネズミと町のネズミ

犬と肉

ウサギとカメ

嘘をつく子供

馬をうらやんだろば

泉のほとりの牡鹿とライオン

王様の耳はロバの耳

雄鶏と宝石

ガチョウと黄金の卵

からすときつね

カラスと水差し

狩人と樵

北風と太陽

狐と鶴のご馳走


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