イジリー岡田
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出典検索?: "イジリー岡田" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年5月)

イジリー岡田
本名岡田 昇(おかだ のぼる)
ニックネームおかっぱペロペロ兄貴(但しAKB48ネ申テレビ中心)
生年月日 (1964-09-23) 1964年9月23日(59歳)
出身地 日本埼玉県
血液型A型
身長169.4cm
言語日本語
方言共通語
最終学歴東放学園専門学校
コンビ名キッドカット(解散)
グループ名アンコン商事
相方下平ヒロシ(アンコン商事)
芋洗坂係長(アンコン商事)
芸風ものまね
事務所ホリプロ
活動時期1987年 -
現在の代表番組スペシャル番組
ものまねグランプリ
過去の代表番組ものまねバトル
エンタの神様
週刊AKB
ギルガメッシュないと
NOGIBINGO!
ほか
配偶者既婚(離婚歴あり)
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イジリー岡田(イジリーおかだ、1964年昭和39年〉9月23日[1] - )は、日本お笑いタレントものまねタレント。本名は岡田 昇(おかだ のぼる)。

ホリプロ所属。身長169.4cm、体重76kg、靴のサイズは25cm。既婚(再婚)[2]

埼玉県出身。実家は埼玉県さいたま市浦和区浦和実業学園高校卒業。さいたま市在住[要出典]。

元々は「イジリー」は観客などをネタにして笑いをとることが上手いことから名付けられたが、この芸名からエロタレントとして起用されるようになった。しかし、本人はチャールズ・チャップリンのような"お笑い"を志向し、「下ネタ笑いを取るのは卑怯であり、下ネタは嫌い」と公言していたため、轗軻不遇であった[3]



略歴

高校生の頃からお笑いが大好きで、萩本欽一に憧れ『第6回欽ちゃんの全日本仮装大賞』に友人の代役として出場する[注 1][4]東放学園専門学校在籍時代に、カメラアシスタントのアルバイトで番組制作に携わるが、辛さに耐えかねて辞めた経験を持つ[4]

萩本に憧れていたこともあり、小堺一機関根勤の下積み時代のライブにも、裏方のアルバイトとして参加経験がある。素人時代に出場したフジテレビ系列『発表!日本ものまね大賞』での敢闘賞獲得が認められ、ホリプロにスカウトされる[4]。高校時代の友人の奥山を相方に誘い、1987年にお笑いコンビ「キッドカット」を結成した[4]

ホリプロお笑い部門第1号として、多くのバラエティ番組オーディション大会で優勝するなど、実績を残し順風満帆に思えたが[4]生放送に寝坊を繰り返すといった相方の遅刻癖がホリプロで問題になったことで相方が解雇され[4]、お笑いコンビは強制解散させられた。1990年からピン芸人として活動を始める[4]

コンビ時代から、ホリプロ所属のアイドルイベントで、前説や司会を担当していたことから、学習研究社(現・学研ホールディングス)の月刊誌Momoco』において、デビュー直後のアイドルと対談するコーナー連載が決定する。ペンネームを命名することになり、客いじりが上手いから『イジリー岡田』、連載のタイトルも『イジリー岡田のアイドルいじり』に決まる。

最初はあくまでペンネームのみであったが、当該コーナーの人気が上昇すると「お前、明日から『イジリー岡田』だぞ。問題ないよな?」とホリプロから電話で一方的に通告され、正式に芸名が決定した。芸名に関してイジリーは「問題大ありですよ。そんな最低な名前、嫌に決まっているじゃないですか」と当時を振り返っている。
ギルガメッシュないと

深夜お色気番組ギルガメッシュないと』(テレビ東京系列、1991年 - 1998年)のレギュラーに起用された[4]

番組開始当初は、東京都区部のデートスポットや流行の映画・演劇等を紹介するお洒落な情報番組で、イジリーの出番は「AV女優のお宅訪問」だけであった[4]

しかし、このイジリーのコーナーが好評を博した事から、三ヶ月後に番組はセクシー路線に変更され、「ギルガメ治療院」では初代となるなぎら健壱から院長を引き継ぎ高速ベロを誕生させたり、AV女優の憂木瞳と共演した「夜食バンザイ」などセクシー系企画が大ヒット。イジリーは自他ともに認める「日本一のエロタレント」のジャンルを確立することになる。しかし萩本欽一やチャールズ・チャップリンのような"温かいお笑い"を志向し、後輩には「下ネタとか、になって笑いを取るのは卑怯だ。オレは一生下ネタなんて認めないし、やらない」と下ネタ嫌いを公言していた本人は心中複雑であった[3]

番組企画の一環として、1993年12月には憂木瞳とデュエットしたシングルCD「マンゴ・ナタデ・ココ(ポニーキャニオン」をリリースしている。ちなみにノーギャラであった。
ギルガメ終了後

『ギルガメ』終了後は、ホリプロの命令(テレビ朝日しくじり先生』に出演した際には自らの希望もあったと語っている[5])で下ネタを一時的に封印、子供向け特撮番組『テツワン探偵ロボタック』への出演や、HiPのイベントの司会を務めるなど、エロイメージ改革に取り組み、本来イジリーがやりたかった仕事をやるスタイルを取っていたが[4]、一時期アルバイトを掛け持ちしなければ生活がままならないほどに仕事は激減してしまう。


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