この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はボジャイン、第二姓(母方の姓)はペレス=ミンゲスです。
イシアル・ボジャイン
Iciar Bollain
本名イシアル・ボジャイン・ペレス=ミンゲス
Iciar Bollain Perez-Minguez
生年月日 (1967-06-12) 1967年6月12日(51歳)
出生地 スペイン、マドリード
国籍 スペイン
職業映画監督・脚本家・女優
ジャンル映画
活動期間1995年-
配偶者ポール・ラヴァーティ
イシアル・ボジャイン(Iciar Bollain, 1967年6月12日 - )は、スペイン・マドリード出身の映画監督・脚本家・女優。フルネームはイシアル・ボジャイン・ペレス=ミンゲス(Iciar Bollain Perez-Minguez)。イシアル・ボリャインと表記されることもある。 父親は航空技術者、母親は音楽教師である。イシアル・ボジャインは1967年にマドリードで生まれ、双子の姉妹としてマリーナ・ボジャインがいる。自由な気風の家庭で育ったため、イシアルとマリーナは幼少期から芸術に興味を示し、イシアルは映画製作の道に進み、マリーナはオペラ歌手になるために学んだ。14歳の時、イシアルはビクトル・エリセ監督の『エル・スール』(1983年)に出演し、謎めいた父親の秘密を探る少女エストレーリャの役を演じた。18歳以降、イシアルとマリーナはおじのフアン・セバスティアン・ボジャインが監督した2本の映画、『Las dos orillas』(1987年)と『Dime una mentira』(1992年)に出演した。イシアルはまた、フェリペ・ベガ
目次
1 経歴
2 監督作品
2.1 長編映画
2.2 短編映画
2.3 ミュージックビデオ
3 出演作品
3.1 長編映画
3.2 短編映画
4 受賞
5 著書
6 脚注
7 外部リンク
経歴
23歳の時に「La iguana」(イグアナ)という映画制作会社を設立し、『Baja Corazon』(1992年)、『Los Amigos del muerto』(1995年)という2本の短編映画を制作した。フェルナンド・コロモ(スペイン語版)の支援を受け、1995年には初監督作品として『Hola ?estas sola? 』(やあ、君はひとりなの?)を制作した。地上の楽園を見つけることを夢見て、海に向かって長い旅に出かける2人の少女についての物語である。2作目の長編『Flores de otro mundo』(別の世界からの花、1999年)では、フリオ・リャマサーレスと共同で脚本を執筆した。愛を求めて農村部に旅行する3人の女性の物語である。3作目の『Te Doy Mis Ojos』(私の目を取って、2003年)はゴヤ賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ライア・マルル)、主演男優賞(ルイス・トサール)、助演女優賞(カンデラ・ペーニャ(英語版))、脚本賞、音響賞の7部門を受賞し、その他にも新人女優賞(エリサベット・ヘラベルト(英語版))、編集賞にノミネートされていた。ボジャイン自身は作品賞・監督賞・脚本賞(脚本賞はアリシア・ルナと共同)を受賞した。ルイス・トサールとライア・マルル(英語版)が出演したこの映画は、妻に対する夫の虐待と、生活パターンの変化に苦しむ彼らを描いた映画である。2007年の『Mataharis』はゴヤ賞で作曲賞を受賞した。
2010年の『雨さえも』では、脚本家の夫ポール・ラヴァーティ(英語版)とタッグを組んだ。ゴヤ賞で作品賞、監督賞、主演男優賞(ルイス・トサール)、助演男優賞(カラ・エレハルデ)、新人男優賞(フアン・カルロス・アドゥビリ)、脚本賞、作曲賞、編集賞、プロダクション賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイル賞、音響賞、特殊効果賞の13部門にノミネートされ、助演男優賞と作曲賞とプロダクション賞の3部門で受賞した。第83回アカデミー外国語映画賞のスペイン代表作品に選ばれ[2]、9本のノミネート作品に選ばれた[3]。この映画には劇中劇が登場し、スペインの映画制作会社がクリストファー・コロンブスの新大陸への到着を主題とした作品を取る過程で、ロケ地の農民の搾取に関する問題に巻き込まれる。ガエル・ガルシア・ベルナルが監督役を務め、ルイス・トサールがプロデューサー役を務めた。この劇中劇の中ではフアン・カルロス・アドゥビリが先住民アイマラ族の指導者役を務め、水資源の民営化のための抵抗組織の指揮を執る。アドゥビリはゴヤ賞の新人男優賞にノミネートされた。