イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ
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イザベル・デ・アラゴン
Isabel de Aragao
ポルトガル王妃

在位1497年9月30日 - 1498年8月23日
別称号アストゥリアス女公(1470年 - 1478年、1497年 - 1498年)

出生1470年10月2日
カスティーリャ王国パレンシア、ドゥエニャス
死去 (1498-08-23) 1498年8月23日(27歳没)
アラゴン王国サラゴサ
埋葬 カスティーリャ王国トレド、サンタ・イザベル修道院
結婚1490年 エヴォラ
1497年9月30日
配偶者ポルトガル公アフォンソジョアン2世の嫡子)
 ポルトガルマヌエル1世
子女ミゲル
家名トラスタマラ家
父親アラゴンフェルナンド2世
母親カスティーリャ女王イサベル1世
宗教ローマ・カトリック
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イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ(スペイン語: Isabel de Aragon y Castilla, 1470年10月2日 - 1498年8月23日)は、ポルトガルマヌエル1世の王妃。ポルトガル名はイザベル(ポルトガル語: Isabel de Aragao e Castela)。アラゴンフェルナンド2世カスティーリャ女王イサベル1世カトリック両王)の長女として生まれ、弟フアンの誕生前と早世後に王位継承者としてアストゥリアス女公となった。
生涯

1490年ポルトガル公アフォンソジョアン2世の嗣子)と結婚した。政略結婚であったが幸せなものだったという。5年後にアフォンソが狩猟中の事故で急逝し、カスティーリャへ帰国する。再婚せず修道院へ入りたいという願いは両親に受け入れられず、1497年にマヌエル1世(前夫アフォンソの叔父にあたる)と再婚する。同年、両親の一人息子で弟のアストゥリアス公フアンが急逝したため、イサベルが王位継承者となった。1498年、ポルトガル、カスティーリャ、アラゴンの王位継承者である長男ミゲル・ダ・パスを出産したものの、イサベルは産褥死した。ミゲル王子も2年後に早世し、マヌエルのスペイン王位への野望は潰えた。

なお、マヌエル1世はその後、イサベルの妹マリアと、その死後にイサベルの姪(もう一人の妹フアナ女王の娘)レオノールと再婚した。

先代
イサベル1世アストゥリアス女公
1470年 - 1478年次代
フアン

先代
フアンアストゥリアス女公
1497年 - 1498年次代
ミゲル・ダ・パス

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