イサキオス2世アンゲロス
Ισα?κιο? Β' ?γγελο?
Isaakios II Angelos
東ローマ皇帝
イサキオス2世アンゲロスが印された硬貨
在位1185年9月12日 - 1195年4月8日
1203年8月1日 - 1204年1月25日
出生1156年9月
死去1204年1月28日
配偶者エイレーネー
マルガレーテ・マリア
子女一覧参照
王朝アンゲロス王朝
父親アンドロニコス・アンゲロス
イサキオス2世アンゲロス(Ισα?κιο? Β' ?γγελο?: Isaakios II Angelos、1156年9月 - 1204年1月28日)は、東ローマ帝国アンゲロス王朝の初代皇帝(在位:1185年 - 1195年、1203年)。 1156年、アンドロニコス・アンゲロス
生涯
即位前まで
当時、コムネノス王朝の第5代皇帝・アンドロニコス1世は強権的な独裁政治を行なって周囲から反感を買っていたが、アンドロニコスは徹底的に弾圧してこれを抑えた。さらにイサキオス自身もコムネノス王家の遠縁にあたるため、アンドロニコスにその存在を警戒されて暗殺されかけたこともあった。しかしこのような暴虐的な政治に遂に国民の怒りが爆発し、1185年、イサキオスを指導者に擁立した反乱軍によってアンドロニコスは虐殺された。そして、国民や貴族の支持を得たイサキオスが、皇帝として即位した。 アンドロニコス1世時代に始まっていたノルマン人の侵攻は防いだものの、1186年、支配下にあったブルガリアがペタルとアセン兄弟の下に独立を果たし第二次ブルガリア帝国を建国し、東ローマ帝国と敵対した。1188年には小アジア南西部フィラデルフィアの帝国貴族テオドロス・マンカファース
失政から廃位へ
1195年、3度目のブルガリア遠征を計画したが、反対した弟のアレクシオスによって廃位・幽閉されて皇位を奪われた。後にイサキオスは弟によって盲目にされた[1]。神聖ローマ皇帝 ハインリヒ6世はみずから企てた十字軍にビザンツ帝国が「参加するよう要求し、さらに毎年貢納金をさし出すことも求めたので」、アレクシオスは「特別税を設定しなければならず、帝室陵墓をあばいて空にしなければならなかった」。ハインリヒは弟のフィリップ・フォン・シュヴァーベンをイサキオスの王女と結婚させ、イサキオスのための復讐者になっていた[2]。 帝国の威信はさらに衰えた。イサキオスの息子で神聖ローマ帝国に亡命していたアレクシオス4世は、軍資金の調達が困難で遠征できなかった第4回十字軍に対して資金援助や東西教会の統一などを条件に味方に引き込み、帝国の首都・コンスタンティノポリスに侵攻した。1203年7月にアレクシオス3世は皇位を追われて逃亡し、アレクシオス4世は幽閉された父・イサキオスを助け出して、父と共に共同皇帝として即位した。 しかし復位にあたってアレクシオス4世が命じた軍資金供出の負担は国民に重く圧し掛かり、1204年、皇族のアレクシオス5世ドゥーカスの反乱を招いた。この反乱により、イサキオス2世とアレクシオス4世は共に殺害され、皇位はアレクシオス5世に簒奪された。49歳であった。 Lexikon des Mittelalters. Bd. V. Munchen/Zurich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 666-667 (Beitrag von G. Prinzing).
復位から最期へ
家系
曽祖父:アレクシオス1世コムネノス - コムネノス朝初代皇帝
祖父:コンスタンティノス・アンゲロス
祖母:テオドラ・コムネナ(Theodora Komnene Angelina) - アレクシオス1世息女
叔父(父の弟):ヨハネス・アンゲロス・ドゥーカス - 尊厳公
叔父の王子(庶子):ミカエル1世コムネノス・ドゥーカス - エピロス専制侯初代王
父:アンドロニコス・アンゲロス
母:エウフロシュネ(Euphrosyne Kastamonitissa)
后:エイレーネー(ヘリナ)
王子:アレクシオス4世アンゲロス - アンゲロス朝3代皇帝
王女:エイレーネー - シチリア共治王ルッジェーロ3世妃、のち神聖ローマ皇帝フィリップ后
王女:エウフロシュネ・アンゲリーナ(Euphrosyne Angelina) - 修道女、もしくはキエフ大公ロマン・ムスティスラーヴィチ妃
后:マルガレーテ・マリア - ハンガリー王ベーラ3世の娘、のちモンフェッラート侯ボニファーチョ1世妃
王子:マヌエル・アンゲロス
王子:ヨアンネス・アンゲロス
参考文献
脚注^ ドイツ中世盛期の詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデは、フィリップ(・フォン・シュヴァーベン)(1198年9月8日マインツにてドイツ王として戴冠)の家臣に向けて歌ったとされる詩において("Spiesbratenspruch" L. 17,11)、フィリップの妻の父、イサキオス2世を襲った不幸をほのめかしている。村尾喜夫訳注『ワルターの歌』(Die Spruche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、50-53頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 495.
^ セシル・モリソン『十字軍の研究』橋口倫介訳 白水社1971、64?65頁。
関連項目
蒼き狼と白き牝鹿シリーズ(光栄)
表
話
編
歴
東ローマ皇帝
テオドシウス朝
アルカディウス383-408
テオドシウス2世408-450
マルキアヌス450-457
レオ朝