イギリス連邦
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イギリスを指す「連合王国」あるいはイギリス君主と同一人を自国の君主として戴く独立国家15か国・個々を指す「英連邦王国」とは異なります。
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このページ名「イギリス連邦」は暫定的なものです。
代案としては英連邦、コモンウェルス・オブ・ネイションズ、コモンウェルス (旧イギリス領などの連合体)があります。
議論はノート:英連邦王国を参照してください。(2020年5月)

コモンウェルス・オブ・ネイションズ
Commonwealth of Nations
国旗
コモンウェルスの加盟国(英語版)
本部 イギリス
イングランド
ロンドン
マールバラハウス(英語版)
公用語英語
(English in the Commonwealth of Nations)
形態政府間組織[1]
加盟56ヶ国(#一覧
指導者

コモンウェルス首長 国王チャールズ3世
? 事務総長 スコットランド・オブ・アスタル男爵夫人
? 議長 ポール・カガメ
設立

バルフォア報告書 1926年11月18日
ウェストミンスター憲章 1931年12月11日[2]
? ロンドン宣言(英語版) 1949年4月28日
面積
? 合計31,844,000 km2 (12,295,000 sq mi)
人口
? 2021年の推計2,612,660,000
? 人口密度82/km2 (212.4/sq mi)
ウェブサイト
thecommonwealth.org
事務局及び主要機関が置かれているロンドンのマールボロ・ハウス。

コモンウェルス・オブ・ネイションズ(英語: Commonwealth of Nations)、通称:コモンウェルス(Commonwealth)[3]は、イギリス帝国のほぼ全ての旧領土である56の加盟国から構成される国家連合[4]。この組織の主な機関は、政府間の関係に焦点を当てたコモンウェルス事務局と、加盟国間の非政府関係に焦点を当てたコモンウェルス基金である[5]

日本では旧名(英語: British Commonwealth)に由来するイギリス連邦(イギリスれんぽう)、英連邦(えいれんぽう)と称されることも多い[6][7]が、1949年にイギリス(British)という表記は撤廃されている。加盟国.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  英連邦王国(英国との同君連合)   共和制   独自の君主制

コモンウェルスの歴史は20世紀前半に遡り、イギリス帝国の脱植民地化に伴い、領土の自治が強化されたことで始まった。元々は1926年の帝国会議でのバルフォア宣言によってイギリス連邦[8](British Commonwealth of Nations)として設立され、1931年にはウェストミンスター憲章でイギリスによって正式に制定された。現在のコモンウェルスは1949年のロンドン宣言(英語版)によって正式に構成され、共同体を近代化して加盟国を「自由で平等」なものとして確立した[9]。加盟国は、56ヶ国(一覧)。

コモンウェルス首長英語: Head of the Commonwealth)は現在、イギリス国王チャールズ3世(在位:2022年9月8日 - )である。国王は、君主制である加盟国20ヶ国のうち15ヶ国の元首であり(イギリス連邦王国)、他の5つの君主国は独自の君主を持つ[注釈 1]。他の36の加盟国は共和制である。

加盟国は相互に法的義務を負っていないが、英語の使用や歴史的な繋がりを通じて繋がっている。民主主義人権法の支配といった共通の価値観はコモンウェルス憲章[10]に明記されており、4年に1度のコモンウェルスゲームズによって推進されている。

イギリス連邦の国々の面積は31,844,000 km2 (12,295,000 sq mi)以上で、これは世界の国土面積の21パーセントに相当する。総人口は2021年時点で26億1266万人と推定されており、これは世界人口の3分の1近くに相当し、人口別では国際連合(UN)と上海協力機構(SCO)[11]に次いで3番目に大きな政府間組織となっている[12]
歴史
前史

19世紀には世界最大の帝国として覇を唱えていたイギリス帝国は、20世紀に入るとアメリカ合衆国ドイツの追い上げによって国力の優位は次第に小さなものとなっていった。こうした中で19世紀後半以降イギリス本国は世界各地の入植型植民地の権限を強化していき、特に白人が人口の多くを占める植民地に自治権を与え、自治領(ドミニオン)とするようになっていった。1867年イギリス領北アメリカ法によって3つのイギリスの北アメリカ植民地が連邦を組み、カナダとしてドミニオン化したのを皮切りに、1901年にはオーストラリア大陸の6植民地が連邦化してオーストラリア連邦が成立し、1907年にはニュージーランドニューファンドランドが、1910年には南アフリカの4植民地が合同して連邦化して南アフリカ連邦が成立した(現在の南アフリカ共和国の前身)。これらの自治領とイギリスとの間には1887年から協議機関として植民地会議が開催されていたが、1907年にはこれは帝国会議と改称され、帝国会議に出席できる自治領は植民地(Colony)ではなくドミニオン(Dominion)と呼称するようになった。この動きの中で、1911年にはオーストラリアとカナダが独自の海軍創設を認められるなど(→オーストラリア海軍カナダ海軍)、自治領諸国は自立の動きを強めていった。


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