イギリス暴動
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イギリス暴動
2011 England riots
8月7日、放火され全焼したトッテナムのカーペット店
日時2011年8月6日 - 11日
(これ以降も模倣犯の事件が続いた)
場所グレーター・ロンドンの複数の区
ウェスト・ミッドランズ, ウェスト・ヨークシャー, マージーサイド, イースト・ミッドランズ, グレーター・マンチェスター, ブリストル、その他の複数の地域[1][2]
手段暴動、略奪、放火、強盗、暴行、殺人
結果店舗、住宅、車両が破壊された
報告された死傷者
死者5人
負傷者205人(民間人16人[3][4]、警察官186人、警察コミュニティサポートオフィサー3人)[5][6][7][8]
逮捕者3,000人以上

イギリス暴動(イギリスぼうどう、: 2011 England riots)は、2011年イギリスで発生した暴動である[9]。全国規模に発展したこの暴動において合計5名死亡、8月13日までに暴動・放火・略奪の容疑で1600人以上が逮捕され[10]、8月25日までの逮捕者は2000人を超えた[11]。暴動による経済的損失は、保険会社の損失のみでも8月11日時点において2億ポンド(250億円)以上と推定されている[12][13]
概要

イギリスロンドン北部にあるトッテナムにて黒人男性が警察官に射殺されたことをきっかけに、2011年8月6日より発生した暴動。暴動はトッテナムや首都ロンドンのみならずバーミンガムマンチェスターリヴァプールノッティンガムブリストルなどイギリス各地の都市へ拡大した。暴動に関与していた大半の層は低所得階級の家庭で育った『チャヴ』と呼ばれる無職の若者達だったが、貧困層とは無関係のロンドン五輪のボランティアやバレリーナ、 教師や大富豪の令嬢、11歳の少女等の10代から40代までの様々な層も含まれていた。(逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満)

スマートフォンから利用するFacebookTwitterのSNSが暴力を拡大させている[14]。また、ストリートギャングが暴動を扇動しているともされる。
経過

8月4日 - ロンドン北部トッテナムにて犯罪容疑のある29歳の黒人男性マーク・ダガンが警察官に射殺
(英語版)される。


8月6日 - 黒人男性射殺は不当として17時頃よりマーク・ダガンの遺族・知人や地元住民などによる追悼・抗議デモがトッテナムの警察署前で行われる。[15]

20時20分頃、トッテナムの警察署付近で暴動が発生。トッテナムの警察署付近の警察車両が破壊、放火される。

22時45分頃、トッテナムの警察署付近の2階建てバスに放火。翌7日未明までに近隣建物や店舗が破壊、略奪、放火される。[16]



8月7日 - 前日6日夜からトッテナムの警察署付近で発生した暴動は7日昼までには沈静化。

しかし同日夜、トッテナムの警察署から数キロ離れた商業地区ウッドグリーン(wood Green)にて暴動が発生。翌8日未明までに同地区内に存在する多くの店舗が破壊、略奪、放火される。トッテナム暴動にて55名逮捕、警察官26名負傷。[17]



8月8日 - 暴動がハックニー、ペッカム、クロイドン、ルイシャム、クラパム、カムデン、イーリングなど大ロンドン圏の各地に拡大、翌9日未明まで続く。

8日夜、クロイドンにて26歳の男性が射殺。この暴動における最初の死者となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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