イギリス式庭園
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ドイツ・ポーランドのムスカウアー公園スタッドリー王立公園ストウヘッド庭園(英語版)

イギリス式庭園(English garden, English park)は、西洋風の庭園の様式のひとつ。
概要

狭義では、平面幾何学式庭園フランス式庭園)に対して自然の景観美を追求した、広大な苑池から構成される自然風景式庭園を指す。

自然風景式庭園(ふうけいしきていえん)は、庭園の作庭技法の1つで、平面幾何学式庭園と違い曲線を多用し、なだらかな起伏を要し、自然風景のように作庭される庭園様式である。通常はイギリス式のを指す。

イングリッシュランドスケープガーデンスタイルは、初期のイギリスとヨーロッパのルネサンス様式の庭園の幾何学的形状を実質的に一掃した。ウィリアム・ケントランスロット・ブラウンは、他の多くのデザイナーの中でも、その主導的支持者であり、1730年代の自然主義的な英国式庭園スタイルと名付けられ、各国に広まる(各国の名称、フランス語:Jardin anglais、イタリア語: Giardino all'inglese、ドイツ語:Englischer Landschaftsgarten )。フレンチ・ランドスケープガーデンは、その後大陸でスタイルの発展を続けたものである。

この意味のほかに、19世紀のイギリスで認識されるようになったコテージガーデン(en:Cottage garden)などの園芸様式を含めて用いることもあり、現代日本において家庭園芸(ガーデニング)用語として使われる「イングリッシュガーデン」は、この流れを汲む。ガーデニングの意味するところは囲まれた世界の中でするということで、中世では皇帝王族のために徹底して造られていくようになった。そうしたガーデンは規模も視野も巨大化していく。

当初はイギリスにおいて、フランス風の整形庭園を攻撃する文章によって、この風景式庭園誕生の先鋒となった。中心人物としては、アントニー・アシュリー=クーパージョゼフ・アディソン アレクサンダー・ポープらがいる。現実の庭園としてはストウ(英語版)のテンプル伯の館 (Stowe House) が最初期に属する。この設計は最初チャールズ・ブリッジマンによって行われ、ブリッジマンは庭を細かく区画することを嫌い、大きく意匠することに努めた。庭と外界の境に一種の掘割であるハハーを導入して、何遮るものなく眺望が周囲の自然に溶け込んでいくように工夫した。ストウは以後、ブリッジマンと協同したジョン・ヴァンブラ、ウィリアム・ケント、ジェームズ・ギブズ(英語版)、ランスロット・ブラウンといった名手たちが次々に手を加えた記念碑的な庭園となる。風景式庭園の様々な相を1つに集めた庭として、今に伝えられている。

近世になると、アレクサンダー・ポープは「全ての点で自然を念頭におくこと。土地の精霊に相談せよ」という、2行の詩を残す。風景画においてピクチュアレスクという、主として自然の美や風景に関する趣味の基準を表す理論が、不規則さや絶え間なき変化といった美の特徴を見出され、イギリスの美学理論において美や崇高の概念に並ぶ美的範疇となっていく。

代表的な作家、ケントの仕事としては1730年代に造ったラウシャム・ハウス(英語版)の庭園が残っている。またこうした古典的な題材だけでなく、ゴシック、あるいは中国風のものを題材に選ぶものも現れており、ロンドンキューガーデンパゴダを造ったウィリアム・チェンバーズは、そうした東洋風の構成に魅かれた人物の一人である。

こうした絵画的な構成を重んじる派に属するものとしては、ホーア家代々、ことにヘンリー2世がアマチュア造園家として造ったスタウアヘッド(英語版)の庭が、完成された美しさを示している。

こうした中イギリス人たちは、絵画に見出した特徴を現実の風景にも求めるようになり、「イギリス式」と呼ばれる庭園が誕生する。庭園の特徴は、自然風景を模倣して、不規則さ、ア・シンメトリー性、さらに過去への連想、異国的なものへの憧れ、を表している。風景式庭園から発見されたア・シンメトリー性という美学は20世紀に入ると、都市デザインや造形物に大きな影響を与えていった。こうして、イギリスの領主館(カントリー・ハウス)ではカントリーサイドに広がる広大なイギリス的風景を取り込んだガーデニングが行われる。それは敷地そのものが広大な上に、さらに敷地の枠を超えて、遠くの自然風景、大自然を眺望し、それを1つの領域として取り込むものである。今日でも多くの庭園が往時の姿を保ち、イギリスは国土全体が公園のようだとも言われる所以となっている。
イギリス式庭園の展開
自然美の賛美と風景式庭園の発展ストウ庭園(英語版)ストウ庭園のロタンダ(1730-38)

イギリスにおいて風景式庭園の着想が生まれ発展を遂げた背景には、古典主義の写実的な風景画の影響があったと考えられている。即ち、17世紀にクロード・ロランなどが地中海風景や古代風建築を描いた絵画がイギリス貴族の間で流行し、彼らの邸宅の壁に飾られることとなったが、さらに彼らは、壁の絵ではなく窓外の現実風景にこれら絵画のような理想的風景を造り上げることを望むようになったのである。風景式庭園の基礎を築いたウィリアム・ケントが、庭師の経験のない画家だったことは、象徴的な事実である。クロード・ロランの絵は風景式庭園に影響を与えた

ランドスケープガーデンにある景色は現実のものからの写されるものであることはめったにない。作庭者らはロマンチックな絵画、アルカディアの風景を神話のシーンとして描いた特にニコラ・プッサンサルヴァトル・ローザクロード・ロランらの絵画にインスパイアされた[1]


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