グレートブリテン及び
北アイルランド連合王国
国章 (左が通常版; 右がスコットランド版)[注釈 1]
イギリス君主一覧(イギリスくんしゅいちらん)では、現在のイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)につながるグレートブリテン島の各地を支配した以下のイギリスの君主を対象とする。
1707年5月1日のイングランド王国とスコットランド王国の併合以降、グレートブリテン王国およびイギリスでは、12人の君主が存在している(詳細は「イギリスの君主」参照)。イングランドとスコットランドは1603年3月24日以降、ステュアート朝時代に同君連合であった。
1801年1月1日、グレートブリテンはアイルランド王国を併合し(それ以前もグレートブリテンとの同君連合であった)、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立した。その後、アイルランドの大半が1922年12月6日に連合を離脱し、国号は1927年4月12日に現在の「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」に改称された。
1707年までのスコットランドの王たち
1707年までのイングランドの王たち
13世紀末にイングランドが征服する以前にウェールズの各地方を支配した君主たち
1707年にイングランドとスコットランドが合邦して以降のグレートブリテン王国の国王、女王たち
1801年以降のグレートブリテン及びアイルランド連合王国の王たち
1922年にアイルランド自由国が連合王国から分離して以降のグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(現在のイギリス)の王たち
グリートブリテン王国成立以前
スコットランド王国詳細は「スコットランド君主一覧」を参照
ウェールズ「ウェールズの君主」も参照
13世紀末にイングランドに征服される以前のウェールズには、デバイバルス
、ポウィス、グゥイネッズなどの小王国があった。サウェリン・アプ・グリフィズはウェールズの諸侯を従えてウェールズ大公を名乗るが、敗死。ダヴィズが継承者を主張するがイングランド軍に捕らえられて処刑された。
ウェールズ公
サウェリン・アプ・グリフィズ(1267年公認 - 1282年)
以後は、イングランド王国、グレートブリテン王国、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の第1王位継承者がプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)の称号を持つ。2022年9月10日現在は、ウィリアム王太子。 七王国時代に、諸王の間で台頭して他の王たちを臣従させた王をブレトワルダと呼ぶ。
七王国
ケント王国
エセックス王国
サセックス王国
ウェセックス王国
イーストアングリア王国
マーシア王国
ノーサンブリア王国
ブレトワルダ
サセックス王アエレ
ウェセックス王チェルディッチ(519年 - 534年)
ウェセックス王チェウリン(560年 - 591年)
ウェセックス王イネ(688年 - 727年)
ケント王エゼルベルト(591年 - 616年)
イーストアングリア王レドワルド(616年 - 627年)
ノーザンブリア王エドウィン(627年 - 632年)
ノーザンブリア王オズワルド(633年 - 641年)
ノーザンブリア王オズウィ(641年 - 670年)
マーシア王エゼルバルド(735年 - 757年)
マーシア王オファ(757年 - 796年) エゼルバルドの従兄弟
ウェセックス王エグバート(828年 - 839年)
ウェセックス王エゼルウルフ(839年 - 858年) エグバートの息子
ウェセックス王エゼルバルド(858年 - 860年) エゼルウルフの息子
ウェセックス王エゼルベルト(860年 - 866年) エゼルウルフの息子
ウェセックス王エゼルレッド(866年 - 871年) エゼルウルフの息子
9世紀半ばのデーン人の侵入後、諸王国で覇権を確立したウェセックス王がデーン人と戦い、次第に統一イングランド王国を形成していった。
イングランド王国詳細は「イングランド君主一覧」を参照
一覧 (グレートブリテン王国成立以後)されて以来、13人のイギリス君主がいる。イングランドとスコットランドは1603年3月24日以来、同君連合にあった。1801年1月1日、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併した結果、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が誕生し、1920年代の南アイルランドの分離により、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国になった。
アン女王は、1702年3月8日以来、イングランド王国、スコットランド王国、およびアイルランド王国を統治していた。