イギリスの鉄道史
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イギリスの鉄道史(-のてつどうし)では、世界最古の歴史を有するイギリスの鉄道史について記述する。なお、本項ではグレートブリテン島の鉄道のみについて扱った。目次

1 1830年以前 黎明期

2 1830年-1922年 初期の発展

3 1923年-1947年 4大鉄道会社「ビッグ・フォー」

4 1948年-1994年 イギリス国鉄

4.1 国有化

4.2 近代化計画

4.3 経営合理化

4.4 新型特急車両の導入(HSTとAPT)

4.5 イギリス国鉄の分割

4.6 民営化


5 関連項目

1830年以前 黎明期 最初に旅客輸送を行ったオイスターマス鉄道

イギリスは、蒸気機関車による鉄道を世界で初めて用いた。当初は木製のレールであった。1793年鋳鉄によるL型のレールが用いられ始めたが、壊れやすいという欠点があった。1820年以後、錬鉄によるレールが導入されるようになった。

最初に旅客輸送を行った鉄道は、1807年に開業したウェールズ地方のオイスターマス鉄道で、既存の路面軌道を用いた馬車鉄道であった。

1804年リチャード・トレビシックが、世界初の軌道上を走る蒸気機関車を製作した。最初の商業的に成功した蒸気機関車は、1812年に製作されたサラマンカ号(The Salamanca)で、ラック・アンド・ピニオン式の機関車であった。その後も蒸気機関車は改良が重ねられ、ジョージ・スチーブンソン1814年、初めてフランジが1方向のみである車輪を用いた機関車を開発した。この実績が認められて、スチーブンソンは1821年ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の技術者に任命され、1型蒸気機関車(Locomotion No 1)による旅客輸送を実現した。この鉄道は1825年に総延長40キロの営業を開始し、蒸気機関車で営業運転を行う世界初の鉄道となった。

1830年、やはりスチーブンソンの手によるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した。この鉄道では、当初蒸気機関車を導入するかケーブル牽引にするかの検討が行われ、レインヒル・トライアルという機関車コンテストを実施して蒸気機関車の採用が決定した。また、ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道ではまだ運河や有料道路のように、外部から所有者が車両を持ち込んで列車を運転することを認めていたり、ダイヤを定めずに場当たり的に列車の行き違いを実施したりしていたが、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道からは初めて鉄道会社の自社所有の列車のみで運行することが意図され、ダイヤを作ってきちんとした運行管理が行われるようになった。これにより、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道を世界で最初の実用的な鉄道と呼ぶことがある。
1830年-1922年 初期の発展

当初は、小規模事業者による地方路線が散在していたが、その後、鉄道の建設が加速した。1840年代は特に鉄道が発展し、この10年間で、主要都市を結ぶ鉄道網が形成された。複数の路線が、同じ都市間に並行して作られることもあった。この名残は、都市間に重複する路線が相互に接続することなしに敷設されていたり、同じ都市に複数のターミナルがあるなど、現在の鉄道網にも見られる。

投機的な資金が集まり、一種のバブルともいえる熱狂的な投資がなされたことから、鉄道狂時代(Railway Mania)とも称される。そのピーク時である1846年には、新たな鉄道会社の設立に関する272もの法案が可決されたとされる。19世紀から20世紀初頭にかけて、これらは競合他社の買収などを通じて整理・淘汰がなされ、比較的大規模な少数の会社が残った。

この時期には、特に輸送の安全について、政府の関与も増大した。1840年の鉄道規制法に基づき鉄道調査院(HMRI: Her Majesty's Railway Inspectorate)が設立され、事故の原因を調査し、再発防止策を勧告した。1844年には国会に鉄道の国有化に関する法案が提出された。これは採択されなかったものの、客車の構造に関する最低基準の導入、3等車の連結の義務化につながった。1880年代後半から1890年代になると、東海岸の会社と西海岸の会社でロンドンからスコットランドへのスピード競走「北への競走」が華々しく繰り広げられ、この時の最高記録では平均時速が100 km/hを超えることになった。

第一次世界大戦中は、鉄道網は完全に政府の管理下に置かれた。乱立していた組織の合併による利点も生じ、戦後、鉄道の正式な国有化も検討された。これは、既に1830年ウィリアム・グラッドストンにより提唱されていた。しかし政府と鉄道事業者の反対により実現せず、妥協案として、1921年鉄道法により、多数存立していた鉄道会社は、以下に述べる4大鉄道会社に集約された。


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