イギリスの欧州連合離脱
[Wikipedia|▼Menu]
欧州議会アントニオ・タイヤーニ議長と英国テリーザ・メイ首相。2019年2月7日に行われた両者の会談・交渉後の写真。Brexitに関して英国の国会議員たちによる討議が続けられていた英国庶民院(下院)の議場。ウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)前でBrexit関連のデモを行う英国市民ら(2016年11月)Brexitに関連して、ウェストミンスター宮殿前で、「英国はEUに残るべきだ」「Brexit反対」と主張するデモを行う英国市民ら(2018年12月4日)

イギリスの欧州連合離脱(イギリスのおうしゅうれんごうりだつ)、通称ブレグジット[1]英語: Brexit)は、イギリス欧州連合 (EU) から離脱すること、離脱したことを指す。Brexitは "British" と "exit" の混成語である(用語解説は後述)。

2016年6月23日の国民投票の結果、投票者の51.9%がEUを離脱することを選択したことにより行われたものであり、離脱は左右両翼を跨ぐ欧州懐疑派によって主張されていた一方、親欧州派は離脱を中止しEU加盟継続することを主張していた。3度も延期されたが、2020年1月31日午後11時(GMT、EU本部のあるブリュッセルの中央ヨーロッパ時間では2020年2月1日午前0時)、イギリスは正式にEUを離脱した[2]。更に、離脱協定によりイギリスにEU法が適用される移行期間は、2020年12月31日午後11時(GMT、EU本部のあるブリュッセルの中央ヨーロッパ時間では2021年1月1日午前0時)に終了した。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概略

1973年、英国はエドワード・ヒース首相の保守党政権下において欧州共同体(EC)に加盟し、1975年の国民投票によって継続的な加盟が支持された。
離脱に至った経緯

1970 - 80年代には欧州共同体からの離脱は左派によって唱えられ、1983年の左派労働党の選挙においては「完全離脱」が主張されてきた。しかし1980年代後半、欧州の単一市場への重要な支持者であるにもかかわらずマーガレット・サッチャー首相がECに対するアンビバレントな態度を見せるようになったため、離脱の意見は右派にも広がった。1990年代以降になると、今度は離脱の主張が右派から起こるようになり、保守党内での分裂は1992年の欧州連合条約(マーストリヒト条約)に対する反対へとつながった。

2010年代はじめ、イギリス独立党(UKIP)の人気が高まり、2014年にはヨーロッパで最も成功した党となった。彼らはEU加盟継続の是非を国民に問う国民投票の支持者であり、イギリス議会に影響力を及ぼすようになった。これを受けて、保守党のデビッド・キャメロン首相は2015年の英国総選挙のキャンペーン中に国民投票を約束した。キャメロン首相は残留派だったが投票に敗北、辞任し、キャメロン政権下で内務長官を務めたテリーザ・メイが政権を引き継いだ。メイは1年も経たないうちに総選挙にうってでたものの過半数を失い、メイ政権は北アイルランド民主統一党によって支えられることになった。

2017年3月29日、イギリス政府はリスボン条約第50条を履行した。英国は2019年3月29日英国時間午後11時のEU離脱を予定した[3][4]。メイ首相はEU離脱後、欧州単一市場またはEU関税同盟の恒久的な加盟を求めないという政府の意向を表明、欧州共同体法1972(英語版)を廃止し、既存の英国国内法に組み込むことを約束した[5][6][7]。EUとの離脱交渉は、2017年6月に正式に開始され、2018年10月までに離脱協定案を締結することを目指した。2018年6月、英国とEUは税関、VAT、欧州原子力共同体に関する合意の概要をまとめた共同進捗報告書を発表、2018年7月、内閣はチェッカーズプラン(後述参照)、英国政府による提案の概要に同意した。

2018年11月、英国政府とEUの間で合意された「離脱協定案」と「政治概要宣言」の概要が発表された[8]。2019年1月15日、下院(定数650)はこの協定案を反対432、賛成202の圧倒的大差で否決した。これは英国史上最大票差による大敗北となった[9][10][11]。3月12日、メイ首相はEUとの再交渉の結果をまとめた協定の修正案を下院に提出するも、反対391、賛成242の大差で否決、3月29日に差し迫る離脱期限を前にしたこの否決により、ブレグジットの混迷はひときわ尚深まった[12][13][14]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:362 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef