イギリスのタワー・ブロック
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ロンドンイーストエンド、ボウ(英語版)の「クロスウェイ・エステート (the Crossways Estate)」にあるタワー・ブロック3棟の改修前の姿。ザ・ローン1951年に完成し、タワー・ブロックの先駆となった。

タワー・ブロック(英語: tower block)と称される高層住宅の建設は、イギリスでは第二次世界大戦後に始まった。住宅用の高層建築としてのタワー・ブロックの最初の事例とされるハーロウ・ニュータウンの「ザ・ローン(英語版)」は、1951年エセックス州ハーロウで建設され、今では重要文化財建築物 (listed building) のグレード2に指定されている。多くの場合、タワー・ブロックは「応急処置 (quick-fix)」と見なされており、19世紀に建てられた住宅の老朽化や不衛生な状態が引き起こしていた諸問題に対処するため、あるいは、戦時中のドイツ軍の空襲によって破壊された建物に代えて、建てられていた。公共の公開空間を周囲に配したタワー群は、これに置き換えられる前の、各戸に小さな庭を備えたテラスハウスと同じ水準の人口密度を実現でき、また、より広い間取りとより良い眺望をもたらす上に、建設経費も低く抑えられた。当初、タワー・ブロックは大いに歓迎され、その優れた眺望が人気を呼んだ。しかし後に、建物の荒廃が進むと、好ましくない安普請の住居であるという評判が広まってゆき、多くのタワー・ブロックが犯罪発生率の上昇に直面し、不人気に拍車がかかった。これに対する対策のひとつとして、ハウジング・エステート(英語版)の建設の増大策などが採られたが、それはそれで固有の問題性を抱えていた。イギリスにおけるタワー・ブロックは、1968年ロンドン東部で発生したローナン・ポイントの部分的な崩落事故の後、さらに不人気になった[1]
デザイン

第二次世界大戦後のイギリスでは、タワー・ブロックの「建設ブーム」が1950年代から1970年代後半まで続き、建築としてのタワーブロック群は、その数を飛躍的に増加させた。この時期、各地の地方行政当局は、戦後の進歩を象徴するような、未来的で、人目を引くタワー・ブロック群を建設することで、有権者たちに良い印象を与えようとしていた[2]。パトリック・ダンリービー(英語版)も、リンゼイ・ハンレー (Lynsey Hanley) も、当時の建築家たちや都市計画家たちが、高層建築を推奨したル・コルビュジエの思想に影響されていたという見解で一致している[3][4]。現代のタワー・ブロックには、住民たちの間に交流が生まれることを期待して設けられた施設もあり、一部のエステートに見られるル・コルビュジエ風の空中回廊も、その1例である[5]

住民たちに強い印象を与えただけでなく、各地の行政当局の都市計画家たちもタワー・ブロックの建設は、経費を節約することにつながると信じていた[6]。一般的に、タワー・ブロックは、既存市街地の外縁部に位置する安価な緑地に建設された[7]。こうした周縁部の敷地の適正な価格は、市街地内のインナーシティに比べて実勢価格で安価になるが、そうした敷地はしばしば、公共交通機関など、公共的なアメニティへのアクセスに不利である[4]。また、同じようなタワー・ブロックが各地に数多く量産されることは、建設に際して、工業化された建設技術が用いられて経費が圧縮されると考えられた[7]。トイレの設備やドアの取っ手など、画一的で、標準化された部材の使用は数多くのタワー・ブロックで共通して用いられるものと見込まれ、計画家たちは大量の部材の一括調達が、経費を圧縮するものと考えていた[7]

タワー・ブロックをめぐるキー・コンセプトのひとつは、当時の建築家たちや計画家たちの間で人気が高かったブルータリズムの建築手法であった。ブルータリズムの強調は、飾り気のない、峻厳なタワー・ブロックの建設へと繋がり、コンクリートむき出しの構造が大きな部分を占めた[8]。タワー・ブロックの設計に当たって、コンクリートは中核であり、現場で即座に付け加えることも可能なコンクリートは設計者たちに限りない柔軟性を提供した[9]。計画家たちにとっても、コンクリートは建設過程における銀の弾丸魔法の弾丸)であり、経済的な上に「決して壊れないとまでは言えないとしても、耐久性に優れていた」[10]
社会問題リーズのスウォークリフ(英語版)にあった「エルメット・タワーズ (Elmet Towers)」の荒廃の様相は、その解体につながった。「割れ窓理論」も参照

アリス・コールマン1985年の著書『Utopia on Trial』は、タワー・ブロックを建設した計画家たちは、ル・コルビュジエの思想を模倣しようとして、社会問題を激化させてしまったのだと論じた[11]。建築家たちや地元の行政当局の意図は全く逆であったにもかかわらず、タワー・ブロックは、ハンレーが鋭く指摘したように「空中のスラム (slums in the sky)」と化した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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