イギリスのシティ
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19世紀まで、イングランドとウェールズの都市の地位は、 ヨーク・ミンスターなどの大聖堂の存在に関連付けられていた。

イギリスにおけるシティ・ステータス(英語: City Status)は、選ばれた自治体に対して国王が与える地位である。2022年現在、イギリス本土には76のシティがあり、その分布はイングランドに55、ウェールズに7、スコットランドに8、北アイルランドに6となっている。王室属領海外領土にも5つがある[1]。シティ・ステータスの保持がその都市に特別な権利を与えることはないが、この地位には独特の品格があり、競争は激しいものとなっている。

シティ・ステータスは、特定の基準に基づいて自動的に適用されるわけではないが、 イングランドとウェールズにおいては、伝統的に主教座聖堂がある街に与えられるものであった。この関係は、1540年代にヘンリー8世イギリス国教会教区を6つ制定し、主教座のある街にシティ・ステータスを特許状によって付与したことにさかのぼるものである。

アイルランドにおいては、シティ・ステータスが与えられた街はイングランドやウェールズよりもはるかに少なく、現在の北アイルランドには19世紀以前にシティ・ステータスを得た都市は2つしか存在しない。さらに、スコットランドでは19世紀に追加付与が行われるまで、シティ・ステータスが国によって明示的には認められていなかった。シティ・ステータスの追加付与は、まずイングランドとウェールズにおいて新しく大聖堂が建設された街に対して行われ、その後スコットランドやアイルランドにも拡大された。20世紀に入ると、イングランドとウェールズにおいて大聖堂の存在がシティ・ステータスの条件であったのが解除され、それ以降の付与は人口規模を含むさまざまな基準で行われている。

地方自治制度改革の一環として一部の自治体が廃止され、古くからのシティのいくつかはその地位を奪われたが、影響を受けた都市のほとんどに対してその地位の継続または回復のための特許が与えられており、2020年2月現在、イギリス国内においてシティから降格されそのままになっている街はロチェスターエルギンの2つのみである。「City」という単語そのものはシティとしての地位を示すものではなく、歴史との関わりを示すため(例:ホワイト・シティ(英語版))や、宣伝・他との区別のため(例:ストラトフォード・シティ)に、地名に付け加えて使われることもある。また、大規模なタウンには小さなシティよりも大きいものがあるが、国王の特許がなければ「シティ」を名乗ることは許されない。[要出典]
歴史
イングランド・ウェールズ
18世紀以前

イギリス最初期のシティ(ラテン語: civitas)は、ローマ人によって要塞化されたケルト人部族の首都であった。 中世初期の聖職者は、これら「28都市」(古ウェールズ語: cair)のリストを残しており、これはギルダス[3]によって言及され、ネンニウス[4] によって列記されている。

16世紀には、教区(イングランド・ウェールズに22が存在した)の大聖堂が都市内にあった場合に、都市は王室によってシティとして認められた。(記事内のシティ・ステータスの付与を参照)。大聖堂を持つこととシティと呼ばれることの関係は、ヘンリー8世が新たな教区を6つつくり、同時にそれらの街をシティとしたことが始まりである[5]。現在のシティにはとても小規模なものがあるが、これは16世紀以前にシティと認められ、その後産業革命などでの人口の拡大に影響されなかったことによるものである。主な例としてはウェルズ(人口約10,000人)やセント・デイビッズ(人口約2,000人)が挙げられる。17世紀以降は、イングランドでは19世紀まで新しい教区(・シティ)はつくられていない(アイルランドにおいては17世紀にジェームズ1世によってロンドンデリーがシティに昇格されている)。
1836年?1888年

待望の新教区の設立は1836年リポン教区の設立で再開された。この時、リポンの議会は教区の設立をもってシティとなったと解釈し、「シティ・アンド・バラ・オブ・リポン」と名乗るようになった。次に設立された教区はマンチェスターで、ここでは議会がシティという名前を非公式に使用するようになったが、1851年ビクトリア女王訪問の際にその地位についての疑義が発生し、僭称は1853年にシティ・ステータスの付与を請願して特許が与えられたことで終了した。これにより、最終的にリポンもその地位の正規化を強いられ、1865年に国会での立法によってシティ・ステータスが与えられた。この時、リポンはシティとなったのに対して同じ教区内にあり規模がより大きなリーズはシティではないという逆転現象が発生した。マンチェスターのシティ・ステータスの付与は、主教座となった自治体はシティ昇格を請願する権利があるということを示す先例となり、1877年から1888年の間にトルーロセントオールバンズリバプールニューカッスル・アポン・タイン 、およびウェイクフィールドが正式にシティと認められている。 ただし、これに対して内務省からの反対がなかったわけではなく、セントオールバンズを「4等もしくは5等の街」として却下しようとし、人口の少なさを理由にウェイクフィールドの昇格に反対した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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