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出典検索?: "イオニア諸島"
イオニア諸島地方
Περιφ?ρεια Ιον?ων Ν?σων
国 ギリシャ
首府ケルキラ
所属県ケルキラ県
ケファリニア
レフカダ
ザキントス
知事ソティリョイ・ヴォスドイ
人口220,097人 (2005年現在)
面積2,307 km2 (891 sq.mi.)
人口密度95人/km2 (247人/sq.mi.)
公式サイト ⇒ionianisia-region.com
イオニア諸島(ギリシャ語: Ι?νια Νησι?, ラテン文字転写: Ionia Nisia)は、ギリシャ西部のイオニア海に位置する諸島。中世後期から近代にかけてヴェネツィア共和国・イギリスなどの支配下に置かれていたヘプタネサ(あるいはヘプタネソス。「七つの島」の意)とも呼ばれる島々を指す歴史的な地域区分であるとともに、ギリシャ共和国の広域自治体であるペリフェリア(地方)のひとつである。 イオニア諸島は歴史的に支配者の交代を繰り返してきたため、多くの名称が存在する。ヴェネツィアにより支配されていた際には、島にはイタリア語(ヴェネツィア語)による名称が付けられた。これは現在の英語の名称の元になっている。 なお、アナトリア半島のイオニア(Ιων?α / Ionia)とは、現代ギリシャ語の発音は同一であるが、綴りが異なる。古代ギリシャ語では発音やアクセントが異なっていた。 歴史的なイオニア諸島(ヘプタネサ、Επτ?νησα
名称
イオニア諸島
現代ギリシャ語: Ι?νια Νησι? / Ionia Nisia
古典ギリシア語・カサレヴサ: ??νιοι Ν?σοι / Ionioi N?soi
イタリア語: Isole Ionie
「七つの島」
現代ギリシャ語: Επτ?νησα / Eptanisa
古典ギリシア語・カサレヴサ: ?πτ?νησα / Heptan?sa もしくは ?πτ?νησο? / Heptan?sos
イタリア語: Eptaneso
英語: Heptanese
地理
位置・広がり歴史的なイオニア諸島(七諸島)。現行の行政区画に加え、ペロポネソス半島南側のキティラ島が含まれる。
島名ギリシャ語他言語面積 km2人口
1ケルキラ島
(コルフ島)Κ?ρκυρα
Kerkyra英: Corfu
伊: Corfu592107,879
2パクシ島Παξο?
Paxoi英: Paxos
伊: Paxi252,253
3レフカダ島
(レフカス島)Λευκ?δα
Lefkada英: Lefkas
伊: Leucade32522,056
4イタキ島
(イタカ島)Ιθ?κη
Ithaki英: Ithaca
伊: Itaca963,084
5ケファロニア島Κεφαλλονι?
Kefalonia英: Cephalonia
伊: Cefalonia78134,488
6ザキントス島
(ザンテ島)Ζ?κυνθο?
Zakynthos英: Zante
伊: Zacinto40838,957
7キティラ島
(ケリゴ島)Κ?θηρα
Kythira英: Cerigo
伊: Cerigo2793,354
「七つの島」と言うものの、実際は主要な7島の他に多くの小さな島が存在している。
現在の行政区画としてのイオニア諸島地方には本土西岸の島のみが含まれ、キティラ島はアッティカ地方に属する。 1万人以上の都市は以下の通り。
主要な都市
ケルキラ - 28,185人
ザキントス (Zakynthos (city)
レフカダ (Zakynthos (city)) - 16,307人
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ケルキラ島の景勝地、ポンディコニシ島
ザキントス市の港
レフカダ島 Porto Katsiki
歴史
古代ギリシャイタキ島の遺跡。「オデュッセウスの宮殿」と名付けられている。
イオニア諸島には、早ければ紀元前1200年ごろ、少なくとも紀元前9世紀までには、ギリシャ人によって生活が営まれていたことがわかっている。ケルキラ島にはエレトリアからの移住者がいたが、紀元前734年にコリントスからの植民者によって追放されている。
古代ギリシャ時代、イオニア諸島は辺境の地であり、ギリシャの政治史に果たした役割は小さい。ただ、紀元前434年に植民市ケルキュラ(ケルキラ)とその母都市であったコリントスとの間に生じた争いにはアテナイが介入し、ペロポネソス戦争のきっかけとなった。
ホメロスによる叙事詩『オデュッセイア』では、主人公オデュッセウスの生誕の地はイタカ島とされている。この島が現在のイタキ島であることを証明しようとする試みがなされてきたが、ホメロスの記述と実際の島の位置関係は一致していない。
ローマとビザンツによる統治