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株式会社イエローキャブ
YELLOWCAB Co.,ltd種類株式会社
本社所在地 日本
〒163-0918
東京都新宿区西新宿2丁目3番1号新宿モノリス18階
設立2019年5月
業種娯楽業
法人番号9010001201018
株式会社イエローキャブ(YELLOWCAB Co.,ltd)は、女性タレントのマネジメントをメインにフランチャイズチェーンを用いた事業展開を行っている日本の芸能事務所である。
現在の法人は、イエローキャブのライセンスを取得した株式会社Mプロダクションが2020年に株式会社イエローキャブへと改称したもので、1980年に設立され2015年に経営破綻し清算された株式会社イエローキャブとは別法人[1]。 元々は映画監督・黒澤明の長男である黒澤久雄が黒澤フィルムスタジオの芸能事務所部門として「黒澤プロモーション」という名称で1980年(昭和55年)に設立。黒澤が、父・明監督の映画『乱』の制作を手伝うことになるなど多忙を極めたため、遊び仲間で、かつていしだあゆみや朝丘雪路などのマネージャーを務めたこともある野田義治に実質的な経営をバトンタッチする。所属タレント第1号は山咲千里だったが、芸能活動の方向性を巡って事務所と山咲の家族との意見が合わず、山咲は程なく事務所を去ってしまう。 1983年(昭和58年)、野田が自ら運営に携わったクラリオンガールコンテストから、堀江しのぶを発掘する。堀江はグラビアページやテレビ番組のアシスタント、テレビドラマ出演などで成功するが、事務所自体は苦しい経営が続いた。更に堀江は人気絶頂の1988年(昭和63年)にスキルス性胃癌のため23歳という若さで逝去し、事務所は堀江という大黒柱を失ってしまう。この年に現在の社名へ変更し、野田が社長に就任した。 堀江の死の直前、野田社長は堀江に続いてかとうれいこを発掘した[注釈 1][2]。1989年(平成元年)に第16代クラリオンガールに選ばれたかとうはグラビアで人気爆発、多くの雑誌の表紙や巻頭カラーを飾った。かとうは数年にわたり、高価な写真集の新作がまるで雑誌のごとく毎月のように本屋に並べられ売れ続けるという「写真集クイーン」となり大成功をおさめた[注釈 2][3]。その利益がイエローキャブの経営の基礎を作り、TV局に強いコネを持つ大手プロダクションの隙間を狙ってバストの豊かな女性を雑誌のグラビアで顔や名前を売る戦略を軌道に乗せた。その後も細川ふみえや雛形あきこらがテレビで人気者となっていった。また別会社として有限会社サンズ(後のサンズエンタテイメント)も設立したが、一方で野田社長のワンマン経営から資金繰りが悪化し、東洋コンツェルングループの傘下となった。多くの所属タレントがTVで活躍するようになっていた2004年(平成16年)末、経営上のトラブルで野田社長が辞任し、会社を去った。野田元社長が進めた多角経営が軌道に乗らなかった上に、野田元社長が親会社に無断で所属タレントに株を交付したことで裁判沙汰に発展。その結果、取締役会で野田元社長を代表取締役から解任する決議が了承された。野田元社長の後任には佐藤紳司が就任した[4]。 佐藤江梨子、根本はるみらは留まり、小池栄子がサンズエンタテインメントから移籍したが、雛形やMEGUMIを筆頭に所属タレントの大半が野田元社長に追随し、野田元社長が社長を務めるサンズエンタテインメント(サンズから社名変更)へと移籍したことでイエローキャブの所属タレント数は大幅に減少し、規模も縮小した。 ただ、有力タレントである小池・佐藤・根本が残留したことや、また野田元社長が社長時代に培った「イエローキャブ」の名称が持つブランドバリューもあり、その後も大手芸能事務所としての体を保っていた。野田元社長が去った後は、グラビアアイドル路線ではなく女優などを所属させるようになった。 なお、サンズエンタテインメントはイエローキャブの子会社ではなく、資本及び人的関係はない。 佐藤社長が2006年に辞任し、帯刀孝則社長が引き継ぐが2012年6月に58歳で死去したため[5]、長らく役員を務めてきた松山弘志取締役[6](演歌歌手の五木ひろしの兄)が社長となった[7]。 2013年3月にライセンスの商標利用により「株式会社イエローキャブプラス」が設立。 2014年に入り、イエローキャブの経営危機及び小池・佐藤の新事務所移籍の噂が報道された[6]。この報道についてイエローキャブからのコメントは一切なかったが、4月に入り、京都のIT企業フェイスが立ち上げた新会社「ドリームキャブ」およびイエローキャブより、業務提携のアナウンスが行われた。内容は「ドリームキャブがイエローキャブの芸能マネジメント業務を受託する」というものである。これにより、事実上イエローキャブの業務はドリームキャブに移行し、フェイスが関連会社で行っていたアーティストのマネージメント部門と統合して再スタートすることとなった。後にドリームキャブは2016年4月1日にて「株式会社Faith Artists Music Entertainment」に変更し、正式にフェイスグループの一員として活動することになった。 ドリームキャブの営業開始後も法人としてのイエローキャブは存続していたが、2015年2月10日[8]と13日[9]と立て続けに東京スポーツが事務所消滅の方向へ向かっているとの記事を掲載した。 2015年1月末で小池・佐藤が契約満了となった事から事業を停止し、事後処理を弁護士に一任、自己破産申請の準備を始め、2015年2月3日に東京地裁に破産を申請、2015年2月12日に東京地裁から破産手続開始決定を受け、ここに同社は倒産(=経営破綻)となった[7]。負債は約4億円にのぼった[10][7]。2015年11月12日に清算結了[11]。 2019年7月、株式会社Mプロダクションが「イエローキャブ商標」を保有していた株式会社イエローキャブプラスから「イエローキャブ」に関する全てのライセンスを取得し、[注釈 3]タレントのマネジメント活動を開始した。
概要
株式会社イエローキャブ(旧社)
株式会社イエローキャブ(現法人)