イェヴレのヤギ
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イェヴレのヤギ (2009)

イェヴレのヤギ(イェヴレボッケン、スウェーデン語: Gavlebocken、英語: Gavle Goat)は伝統的にスウェーデンイェヴレ中心区のSlottstorgetで毎年制作されるクリスマス飾り。これはスウェーデンで伝統的に作られているでできたヤギ飾りのユールボック(英語版)を巨大にしたものである。毎年、待降節から2日間に渡り、地元のコミュニティグループたちによって制作されているもので[1][2]、毎年のように放火の被害に遭う事で有名になった。安全対策や近隣に消防署があるのにもかかわらず、1966年に初めて作られるようになってから多くの年において焼け落ちている。

1986年より、イェヴレでは2頭のヤギが(南商業組合によりイェヴレボッケン、ヴァーサの学校の自然科学クラブによりユールボックがそれぞれ)制作されている。
歴史

イェヴレのヤギは毎年待降節[注 1]の最初の日に建てられる。1966年、広告コンサルタントの Stig Gavlen が、スウェーデンの伝統であるユールボックを巨大にしたものを作成し、広場に設置することを思いついた[3]。この最初のヤギのデザインは、Gavlen の兄弟であり、当時のイェヴレ消防署長であった Jorgen Gavlen の担当となった。このヤギの作成は消防署によって実施され、また、1966年から1970年および、1986年から2002年に渡って毎年消防署が作成していた。最初のヤギの資金は Harry Strom によって賄われ、1966年12月1日、高さ13メートル、全長7メートル、重さ3トンのヤギが広場に作成された。大みそかの日、このヤギは燃え落ちた[4][5]。この犯人は発見され、有罪判決を受けている。このヤギには保険が掛けられており、出資者の Strom は全額を取り戻した[5][6][7]

南商業組合 (Soders Kopman) として知られる経営者たちの団体が出資者となり、この作成は翌年からも続くこととなった。1971年、南商業組合はヤギの制作を止める。これに代わり、ヴァーサの学校(Vasaskolan)の自然科学クラブ (Naturvetenskapliga Foreningen) が制作を始めた。彼らのヤギはおおよそ2メートルであった。彼らのヤギは好意的に受け止められ、翌年以降も制作されることとなった[8]。南商業組合は1986年より再びヤギの制作を始めている[5]

1966年のヤギの製作費は10,000スウェーデン・クローナであった[9]。2005年に制作されたヤギには約100,000スウェーデン・クローナの値札が貼られた。製作費は市により1/3が負担され、残りは南商業組合が支払いを行う。2003年からは、ALC[注 2]ワーカーとして知られる非雇用者たちによって制作作業が行われている。吹雪の中焼け落ちたイェヴレのヤギ (1998)

この展示は放火による破壊のターゲットとして注目されることとなり、1966年に最初のヤギが建設されてから数度に渡り破壊されてきた[10]。消防署が設置されるヤギから近いこともあり、多くの場合は木の骨格が酷く損傷する前に鎮火されている。もしこのヤギが聖ルチアの祭日である12月13日より前に燃え落ちた場合は、再制作されることになる。その場合、骨組みは手当ののち修復され、その上にヤギ制作委員会が事前に注文しておいた藁を用いて再構築される[9]

2005年までに4名がヤギに対しての犯罪行為で逮捕または有罪判決を受けた[11]。2001年には、アメリカ合衆国のオハイオ州クリーブランドから来た51歳の観光客ローレンス・ジョーンズによりヤギは燃やされた。ジョーンズはこれにより18日間拘留され、被害に対し100,000スウェーデン・クローナの支払いが命じられた。裁判所は、ジョーンズのタバコ用ライターを、正しく扱うことができないのが明確だとして没収した。裁判においてジョーンズは、自身はヤギ燃し屋 (goat burner) ではないと主張し、ヤギを燃やすのは伝統で完全に合法なものだと信じていたと話した。ジョーンズは釈放されたのち、罰金を支払わないままアメリカへ帰国している[12][6][13][14][15]

1996年、南商業組合はヤギを1日24時間監視するカメラを導入した。2004年11月27日には、イェヴレボッケンのホームページがハッキングされ、2つの公式ウェブカメラのうち1つが改ざんされている[16]。2003年には、さらなる破壊行為を防ぐため警備員がヤギの周辺に配置されていたが、気温が零下に下がったために警備員たちが近くのレストランに寒さから逃れた際、放火魔に襲われている[12]。2005年の12月3 - 4日の週末には、スウェーデン全域で公共のユールゴートに対する連続攻撃が行われ、イェヴレのヤギは12月13日に燃やされた。ゴットランド島ヴィスビューのヤギは燃え落ち、エステルイェータランドのセーデルシェーピングにあるユールボックは焼かれ、ヴェステルボッテンのリッケルセのヤギも被害にあった[17][18]

2006年のクリスマスシーズンはイェヴレのヤギの40周年記念に当たる年だった。12月3日の日曜日、市はこのヤギを称えて大きな祝典を開いた。この時、ヤギ制作委員会はヤギをFiber ProTector Fireproofという飛行機用の防火剤を用いて防火処理を行った。その年の最初のうちは、防火されていたが、露によりヤギから液体が垂れ落ちることとなった。この出来事によりFireproof ProTechtor Solvent Baseが防火剤として適用されることとなった[6][19][20][21]

様々な関係者たちの努力にかかわらず、イェヴレのヤギは最も新しい事件である2021年12月17日までに計28回燃やされ、6回破損している[22][23]
年表

年破壊された日原因状況
196612月31日
[5]燃えた
1967生存[5]
1968生存[5]【警備】フェンスが追加された[5]
196912月31日[5]燃えた【警備】ヤギ内部を金網で保護[5]
1970制作後6時間[5]燃えた(泥酔した2人の十代少年たちにより)幾人かの出資者の助けにより湖の葦から再び組み立てられた。
1971不明バラバラに[24]南商業組合はヤギが燃やされることに疲れてしまい、制作するのを止めた。ヴァーサ校の自然科学クラブが引き継ぎ、小型のヤギを制作した[25]
1972不明崩れた[5]
1973不明盗まれた
1974不明燃えた[5]
1975不明崩れた
1976不明車がぶつかる[13][26]
1977不明燃えた
1978不明蹴られて壊された[5]
1979組立前[5]燃えた / 壊された[5]【警備】1つめのヤギが燃やされたのち、2つめのヤギは防火された。
この年の2つめのヤギは壊されバラバラになるまで破壊された[25]


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