イェンス・ストルテンベルグ
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 ノルウェー政治家イェンス・ストルテンベルグJens Stoltenberg

生年月日 (1959-03-16) 1959年3月16日(65歳)
出生地 ノルウェー オスロ県オスロ市
出身校オスロ大学
所属政党ノルウェー労働党
配偶者イングリッド・シュレルド
子女2人
サイン
北大西洋条約機構
第13代 事務総長
在任期間2014年10月1日 - 現職
副事務総長アレキサンダー・バーシュボウ
ローズ・ゴットモーラー
ミルチャ・ジョアナ
ノルウェー
第40・42代 首相[注釈 1]
内閣第1次ストルテンベルグ内閣(英語版)
第2次ストルテンベルグ内閣(英語版)
在任期間2000年3月17日 - 2001年10月19日
2005年10月17日 - 2013年10月16日
国王ハーラル5世
ノルウェー
財務相
内閣ヤーグラン内閣(英語版)
在任期間1996年10月25日 - 1997年10月17日
首相トルビョーン・ヤーグラン
ノルウェー
産業・エネルギー相
内閣第3次ブルントラント内閣(英語版)
在任期間1993年10月7日 - 1996年10月25日
首相グロ・ハーレム・ブルントラント
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イェンス・ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg、1959年3月16日[1] - )は、ノルウェー経済学者政治家。ノルウェーの産業・エネルギー大臣、財務大臣、首相を歴任。2014年から北大西洋条約機構(NATO)第13代事務総長を務めている。

国務長官、環境大臣(1990年 - 1993年)、産業大臣(1993年 - 1996年)、財務大臣(1996年 - 1997年)を歴任し2000年から2001年まで首相を務めた。一度政権を降りるが2005年の赤緑連合(英語版)の勝利により10月17日に再び首相の座に就いた。2009年に再任されたが2013年に行われた三期目に向けての総選挙では敗北し辞表を提出した。
来歴
生い立ち

オスロ出身。母カリン・ストルテンベルグと父トールヴァル・ストルテンベルグ(英語版)の間に生まれる。カリンは国務長官、トールヴァルは外務大臣や国連難民高等弁務官を務めた政治家一家である。

ベトナム戦争への抗議でオスロの英国大使館に投石したことがある[1]

1979年ノルウェー労働党系の新聞「アルベイデルブラデット」記者になり1989年から翌年までオスロ大学講師を務める[1]

ノルウェー労働党の青年組織(AUF)の代表を1985年から1989年まで務め、1990年から1992年まではオスロ労働党オスロ支部長でもあった[1]
政治家として

ノルウェー労働党内では穏健派と言われ「ノルウェーのトニー・ブレア」と譬えられることもある。1992年にはグロ・ハーレム・ブルントラントの後継を巡ってトルビョルン・ヤーグラン(英語版)と党首の座を争って敗れた。

1993年にノルウェー国会議員に初当選し[1]グロ・ハーレム・ブルントラントを首班とする第3次ブルントラント内閣(英語版)では、フィン・クリステンセン(英語版)の後任として、1993年10月7日から1996年10月25日にかけて産業・エネルギー大臣(英語版)を務めた[2]。ブルントラントの後継としてトルビョルン・ヤーグランが首相に就任し、新たにヤーグラン内閣(英語版)が発足すると、1996年10月25日から1997年10月17日にかけて財務大臣を務めた[2]
首相として

2000年3月にノルウェー最年少の41歳で首相に就任したが(第一次政権(英語版))[1]、国営事業の民営化を伴う福祉国家路線の変更を巡っては与党内でも論争の的となった。2001年9月10日に行なわれた議会選挙ではノルウェー労働党は得票率わずか24%という同党史上まれな大敗を喫し下野した。この結果、主導権を争っていたヤーグランに執行部を掌握された。

しかし、その後、2005年の選挙において社会主義左翼党および中央党とともに赤緑連合を結成し議席の大多数を占め大勝。再び与党の座に返り咲き2期目の首相就任を果たした(第二次政権(英語版))。

2010年4月長年ノルウェーとロシアとの間の懸案であったバレンツ海北極海の係争海域の帰属確定について、ストルテンベルグ首相はロシアの真意をくみ取り妥協を引き出し合意した[1][3][4]

2011年7月22日に首都オスロで発生したノルウェー連続テロ事件で首相府が入る政府庁舎が爆破されたが事件当時には自宅におり難を逃れている[5]

2012年に訪日し日本の児童たちにサーモンの寿司を振る舞うパフォーマンスを行った[6]

2013年6月1日、再選に向けたキャンペーンの一環として、政治に関する有権者の生の声を聞くためにドライバーに扮してタクシーを運転し、乗客と会話を交わした。首相だと気づかれた場合のみ身分を明かすことにしていたが、ほとんどの乗客がすぐに異変に気がついた。運転は8年ぶりで、オートマチック車であったにもかかわらずクラッチペダルと思い込んでブレーキペダルを踏む一幕もあった[7]

ストルテンベルグ政権時代のノルウェーは高い経済成長率を示していたが、減税を主張したエルナ・ソルベルグ党首率いる保守党に2013年9月の総選挙で敗北した[8]。ストルテンベルグは首相辞任を表明し[9]、後任の首相には保守党のソルベルグ党首が就き、保守党を含む中道右派4党の連立内閣が発足した。
NATO事務総長として

ノルウェー首相時代に40年に及ぶロシアとの最大の懸念事項に終止符を打った外交手腕を買われ、2014年3月28日北大西洋条約機構(NATO)事務総長に任命された。


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