アーヴィング・クリストル
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アーヴィング・クリストル生誕 (1920-01-22) 1920年1月22日
ニューヨーク市ブルックリン区
死没2009年9月18日(2009-09-18)(89歳)
バージニア州フォールス・チャーチ
時代西洋哲学
地域アメリカ合衆国の哲学
学派新保守主義
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アーヴィング・クリストル(: Irving Kristol、1920年1月22日 - 2009年9月18日)は、米国の文芸批評家。ネオコンゴッドファーザーと呼ばれた[1][2]2002年7月、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領から大統領自由勲章を授けられた。

妻ガートルード・ヒメルファーブは、保守系の歴史家でニューヨーク市立大学大学院名誉教授。息子のウィリアム・クリストル(ビル・クリストル)もネオコンの代表的存在であり、レーガン政権ではベネット教育長官の、ジョージ・H・W・ブッシュ政権ではクエール副大統領のそれぞれ首席補佐官を務めた。
経歴1936年、ボーイズ・ハイ・スクール在学中のクリストル

ニューヨーク市ブルックリンにて東欧系の正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれ、バル・ミツワーを受ける。しかしながら、彼は自身の思想をユダヤ教と無関係と主張している[3]ニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY) 在学中にトロツキストとして活動する。1940年に同大学から歴史学の学士号を取得して卒業。在学中、トロツキストの集会でガートルード・ヒメルファーブと知り合い、1942年1月18日に彼女と結婚[4]1940年第四インターナショナルのメンバーだったことを「誇りに思っている」と書いたのは1983年のことだった[5]第二次大戦中は、1941年から1944年まで機甲歩兵部隊の軍曹としてヨーロッパで従軍。戦後は1年間マルセイユに駐留した[6]

1947年から1952年まで『コメンタリー』誌の主筆を務め、英国発の文芸誌『エンカウンター』誌の創刊に参加すると共に、1953年から(1958年に友人で同じ文化自由会議のメンバーでもあるニューヨーク市立大学シティカレッジの同級生メルヴィン・J・ラスキーに地位を譲るまで)同誌の編集者を務める[7]1959年から1960年まで『レポーター』の編集者、1961年から1969年までベーシック・ブックス出版社の取締役副社長。1969年から1988年までニューヨーク大学経営大学院教授として社会思想を講義。民主党のタカ派を代表するヘンリー・M・ジャクソンユージン・ロストウが立ち上げた反デタント団体「民主的多数派のための連合」(en:Coalition for a Democratic Majority)の設立にも参加し、同連合の副議長を務める。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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