アーン・ダンカン
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アメリカ合衆国政治家アーン・ダンカンArne Duncan

生年月日 (1964-11-06) 1964年11月6日(59歳)
出生地 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
出身校ハーバード大学
所属政党民主党
配偶者カレン・ダンカン
子女ライアン・ダンカン
クレア・ダンカン
アメリカ合衆国
9代目教育長官
在任期間2009年1月20日 - 2015年12月31日
大統領バラク・オバマ
シカゴ
教育長
在任期間2001年6月26日 - 2009年1月21日
市長リチャード・マイケル・デイリー
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アーン・ダンカン(Arne Duncan, 1964年11月6日 - )は、アメリカ合衆国教育者政治家。2001年から2009年までシカゴ市教育長を務め、2009年からアメリカ合衆国教育長官を務めた。
経歴
生い立ち幼少時代のダンカン

アーン・ダンカンはイリノイ州シカゴハイドパークにおいて生まれ育った。父親のスターキー・ダンカン (Starkey Duncan) はシカゴ大学の心理学教授を務めた。母親のスーザン・モートン (Susan Morton) はシカゴのサウスサイド地域で黒人の若者を対象とした学校プログラム「スー・ダンカン青少年センター」を創設した。

ダンカンは、母親が携わっていた学校プログラムの子供たちと親交を深め、余暇時間の多くを彼らと過ごした。ダンカンはバスケットボールに熱中し、近隣の学生と競り合って技術を磨いた。ダンカンの子供時代の友人には、後の実業家ジョン・ワシントン・ロジャーズ、政治家クワミ・ラウル、俳優マイケル・クラーク・ダンカン、歌手R・ケリー、武道家ミシェル・ゴードンらがいた。このような幼少期の環境により、ダンカンは独特のイントネーションで話すようになった。このイントネーションにより、大学時代のバスケットボール部の監督はダンカンについて、家系に黒人がいたのかもしれないという憶測を抱いた[1]
学生時代シカゴで少年時代を過ごしたダンカン

ダンカンはシカゴ大学実験学校で初等・中等教育を受けた。ダンカンはそこでバスケットボールに関心を持ち、バスケットボールの指導者やプロスポーツ選手などを将来の夢とした[2]。ダンカンは1987年にハーバード大学を優等で卒業し、社会学の学位を取得した。卒業論文は、シカゴのケンウッド地域に関する調査研究『The values, aspirations and opportunities of the urban underclass(都市の下層階級についての価値、大志、機会)』であった。これは未刊の論文であったが、後に複数の引用を受けた[3][4][5]
ハーバード大学でのバスケットボールバスケットボール仲間と笑うダンカン

ダンカンはハーバード大学においてバスケットボール部に所属した。ダンカンは初年度の1983年、監督フランク・マクローリンの指示により、2軍に追いやられた。だがダンカンは次年度以降、学校代表チームの共同キャプテンとなり、加えて全米の学生選抜チーム代表にも選ばれた[2][6]

ダンカンの所属チームは初年度に、デューク大学に僅差で敗れた。ダンカンはこの試合で新人ながら8得点を挙げた[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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