アーロン・ヒル
Aaron Hillトロント・ブルージェイズでの現役時代
(2009年5月27日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州トゥーレアリ郡バイセイリア
生年月日 (1982-03-21) 1982年3月21日(42歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手、三塁手、左翼手
プロ入り2003年 MLBドラフト1巡目(全体13位)
初出場2005年5月20日
最終出場2017年6月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
レッドウッド高等学校
アーロン・ウォルター・ヒル(Aaron Walter Hill, 1982年3月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トゥーレアリ郡バイセイリア出身の元プロ野球選手(二塁手、三塁手、左翼手)。右投右打。 2003年のMLBドラフト1巡目(全体13位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。 2005年5月20日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャーデビュー。控えの内野手という形での出場となったが、105試合に出場した。 2006年はトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍したオーランド・ハドソンの穴埋め要員として、二塁手のレギュラーとして2005年を上回る成績をマークした。 2007年は自己最多の160試合に出場。1993年にロベルト・アロマーが樹立した二塁手の球団本塁打記録に並ぶ17本塁打をマーク。また、盗塁数は4と試行回数こそ少なかったものの、5月には球団史上2人目のホームスチールを成功させた。 2008年4月に2011年までの4年総額1200万ドル(3年間のオプションも含めると最大で7年総額3600万ドル)で契約延長。しかし、5月29日のオークランド・アスレチックス戦で遊撃手のデビッド・エクスタインと交錯し、脳震盪が起こり、そのままシーズンを終えた。 2009年は4月からコンスタントに本塁打を量産。最終的にリーグ3位となる36本塁打をマーク。オールスターにも初選出され、カムバック賞、シルバースラッガー賞を受賞し飛躍の年となった。 2010年は開幕直後にハムストリングを痛め故障者リスト入りした。復帰後も怪我の影響で例年よりも守備指標では悪化しエラー数も増加。しかしそれ以上に打撃面で苦しみ、26本塁打を放ちパワーは昨季ほどではないものの健在であることを見せたが、打率は.205とキャリアワーストの2008年の.263と比べても非常に悪い、極度の打撃不振に陥る。長打率は4割に満たなかった。 2011年も打撃不振が続き、本塁打が大きく減少した。 2011年8月23日にケリー・ジョンソンとのトレードで、ジョン・マクドナルドと共にダイヤモンドバックスへ移籍、移籍後は調子を上げた。シーズン終了後、球団はヒルの2013年までの2年1600万ドルのオプションを一旦破棄し、その後2年1100万ドルで再契約を結んだ。 2012年は2度のサイクル安打を達成し、自己最高の打率.302、OPS.882を記録。本塁打も26本放ち、3年ぶりのシルバースラッガー賞を受賞を果たした。 2013年2月8日に翌年から3年3500万ドルでダイヤモンドバックスと契約を延長した[1]。4月9日のピッツバーグ・パイレーツ戦では死球で骨折するアクシデントにも見舞われて87試合の出場に留まったが、打率.291・OPS0.818と2年連続で好成績をマークした。 2014年、2年ぶりに規定打席に到達したが、.240台の打率に終わり不振だった。 2015年は116試合の出場に留まり、またしても規定打席に届かなかった。打撃面では通算150本塁打を達成したが、更に劣化が進んで打率.230・6本塁打・39打点・OPS0.640という低調な成績に終わった。走塁面では、盗塁が2年連続で増加して7盗塁を決め、成功率は78%だった。守備では、二塁手と三塁手を守り分けた。本職の二塁は47試合で守り、2失策・守備率.989・DRS + 1という内容で、平均レベルの堅実さを見せた。一方、三塁では38試合で4失策・守備率.952・DRS - 4という成績に終わった。他に、指名打者としても2試合に起用された。 2016年7月7日にアーロン・ウィルカーソン、ウェンデル・リーホ 2017年2月17日にサンフランシスコ・ジャイアンツのスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[5]。
経歴
プロ入りとブルージェイズ時代
ダイヤモンドバックス時代アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代
(2013年9月16日)
ブルワーズ時代(英語版
レッドソックス時代
ジャイアンツ時代