アール・スクラッグス
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アール・スクラッグス
Earl Scruggs
アール・スクラッグス(2005年)
基本情報
出生名Earl Eugene Scruggs
生誕 (1924-01-06) 1924年1月6日
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州クリーブランド郡--Flint Hill community near Boiling Springs, NC,[1]
出身地 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州シェルビー
死没 (2012-03-28) 2012年3月28日(88歳没)
アメリカ合衆国 ナッシュビル
ジャンルブルーグラスカントリーゴスペル
職業ミュージシャン
担当楽器5弦バンジョーギター
活動期間1945年 - 2012年
レーベルマーキュリーコロムビアオーケー、MCAナッシュビル
共同作業者ビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズ、フラット&スクラッグス、アール・スクラッグス・レビュー
公式サイト ⇒earlscruggs.com
著名使用楽器
1934年製ギブソン・グラナダ(ドン・リノとスナフィー・ジェンキンスがかつて所有)
1935年製ギブソンRB-3フラットヘッド「ネリー」[2][3]

アール・スクラッグス(Earl Scruggs、1924年1月6日 - 2012年5月28日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。バンジョーにおけるスリーフィンガー・ピッキング奏法(スクラッグス・スタイル)の確立と普及で知られる。この奏法はブルーグラスの特徴を決定づけた[4]

彼以前にもスリーフィンガー・ピッキングを用いるミュージシャンは存在したが、スクラッグスはビル・モンローから彼のバンド、ブルーグラス・ボーイズに誘われてバンドで演奏している間に、スリーフィンガー・ピッキング奏法をさらに進化させていった。後に、ネットワーク・テレビジョンの人気番組『じゃじゃ馬億万長者』のテーマになった曲「The Ballad of Jed Clampett」の演奏を通して、彼の奏法は主流となっていった。
生い立ち

スクラッグスはノースカロライナ州クリーブランド郡フリント・ヒル・コミュニティで生まれ育った[1][5]。農家で簿記係だった父親のジョージ・エラム・スクラッグスと、母のジョージア・ルーラ・ルッペに育てられた。ジョージはバンジョーを弾いていたが、スクラッグスが4歳の時に他界した。彼の兄のジュニーとホレス、姉のユラ・メイとルビーは、皆バンジョーとピアノの演奏をしていた。また、母はオルガンの演奏を行っていた[5][6]
キャリア

スクラッグスは1945年にビル・モンローのブルーグラス・ボーイズに加入。スクラッグスのアクセントの効いたスリーフィンガー・ピッキング奏法は、またたく間に人気を博す。1948年、スクラッグスは、ギター弾きのレスター・フラットと共に、ブルーグラス・ボーイズを脱退し、フォギー・マウンテン・ボーイズを結成。後にこのバンドは「フラット&スクラッグス」として知られるようになる。1950年代には、フラットとスクラッグスはグランド・オール・オプリのメンバーとなる[7]。1969年にフォギー・マウンテン・ボーイズが解散したのち、スクラッグスは3人の息子たちと一緒に、新しいバンド「アール・スクラッグス・レビュー」を結成。

1962年9月24日、歌手のジェリー・スコッギンズ、レスター・フラットとともに、テレビ番組『じゃじゃ馬億万長者』のために、「The Ballad of Jed Clampett」をレコーディングし、1962年8月12日にリリース。このテーマソングは、またたくまにカントリー・ミュージックとしてヒットを飛ばし、毎話の始まりと終わりに演奏された。フラット&スクラッグスは、主人公クランペットの友達として、いくつかのエピソードに出演。初登場(シーズン1 第20話)では、番組の中でフラット&スクラッグスの役を演じ、自身の曲「Pearl, Pearl, Pearl」を演奏し歌った。

1969年11月15日、スクラッグスは、ワシントンで行われた「ベトナム戦争を終わらせるモラトリアム」におけるオープニング・ステージで、グラミー賞を受賞した自身の曲「Foggy Mountain Breakdown」を演奏。これによりスクラッグスは、反戦運動を支援した数少ないブルーグラス、カントリー・ウェスタンのアーティストとなった[8]。演奏のあとのインタビューでスクラッグスはこう語った[9]

「南部の人間ってのは、ただの通りを歩いてる人って考えられているんじゃないか、と最近は思っている。俺は、俺たちの息子たちが家に帰ってくることを心から願っている。息子たちを失うことには、もう嫌気がさしているし、失ったことを悲しんでいる。もし戦争を続ける正当な理由があるのなら、俺が今日ここに立っていることはなかったはずだ」

1973年1月、マンハッタンでスクラッグスはトリビュート・コンサートを行った。コンサートには、ジョーン・バエズデヴィッド・ブロムバーグバーズランブリン・ジャック・エリオットニッティー・グリッティー・ダート・バンドドク・ワトソンが出演した。コンサートは映像化され、1975年にドキュメンタリー映画『Banjoman』としてリリースされた[10]
受賞

フラット&スクラッグスは「Foggy Mountain Breakdown」で1969年にグラミー賞を受賞。1985年にはカントリー・ミュージック殿堂博物館に登録される。1989年、スクラッグスはナショナル・ヘリテイジ・フェローシップを受賞。1991年には 国際ブルーグラス・ミュージックの殿堂の新会員となる。1992年、国民芸術勲章を受賞。1994年、ランディ・スクラッグスドク・ワトソンと共に「Keep on the Sunny Side」を演奏し、AIDSのためのRed Hot Organizationによるチャリティー・アルバム『Red Hot + Country』に収録。2002年、スクラッグスは2001年にレコーディングした「Foggy Mountain Breakdown」で2度目のグラミー賞を受賞。この曲では、セカンド・バンジョー・ソロをスティーヴ・マーティンが、エレキギターをヴィンス・ギルアルバート・リーが、ピアノをポール・シェイファーが、オルガンをレオン・ラッセルが、マンドリンをマーティ・スチュアートが演奏した。アルバム『Earl Scruggs and Friends』では、ジョン・フォガティエルトン・ジョンスティングジョニー・キャッシュドン・ヘンリードワイト・ヨアカムビリー・ボブ・ソーントンといったアーティストが参加した[11]。このアルバムにはジョニー・キャッシュとランディ・スクラッグスによって書かれた「Passin' Thru」が「It's a mighty world we live in but the truth is we're only passin' thru」の句とともに収録されている[12]


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