この項目では、MLBの外野手 (殿堂入り選手)について説明しています。同名で息子でもあるMLBの捕手については「アール・アベリル・ジュニア
」をご覧ください。アール・アベリル
Earl Averill1933年のベースボールカード
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ワシントン州スノホミッシュ
生年月日1902年5月21日
没年月日 (1983-08-16) 1983年8月16日(81歳没)
身長
体重5' 9.5" =約176.5 cm
172 lb =約78 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手
初出場1929年4月16日
最終出場1941年4月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
クリーブランド・インディアンス (1929 - 1939)
デトロイト・タイガース (1939 - 1940)
ボストン・ブレーブス (1941)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1975年
選出方法ベテランズ委員会選出
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ハワード・アール・アベリル(Howard Earl Averill, 1902年5月21日 - 1983年8月16日)は、アメリカ合衆国ワシントン州スノホミッシュ出身のプロ野球選手(中堅手)。右投げ左打ち。
現役時代の背番号は『3』。ニックネームは"Rock"、もしくは名前にひっかけて、"The Earl of Snohomish"(スノホミッシュ伯爵)とも。実働13年ながら、現インディアンスの打撃部門の球団記録をいくつも保有している。息子 (アール・アベリル) もMLBのプロ野球選手だった。 1929年に、パシフィック・コーストリーグのサンフランシスコから、クリーブランド・インディアンスに入団。デビューは27歳と遅かったが、1年目から初打席初本塁打の衝撃的デビューを飾ってほぼ全ての試合に出場、打率.332、198安打を記録する。デビューから最初の6年間打率3割を維持、1931年には初めて最優秀選手 (MVP) の候補にもなった。 1933年、この年から始まったオールスターゲームに出場。第1回から6年続けて出場した外野手は、アベリルのみである。1937年のオールスターゲームでは、相手投手ディジー・ディーンの球を強烈なライナーではじき返し、ディーンが爪先を骨折するというエピソードもある。 また1934年には、全米選抜チームの一員として、ベーブ・ルースらと共に来日している。同年11月8日、北海道函館市で行われた全日本選抜チームとの対戦では、先発の青柴憲一から満塁ホームランを放っている。 1936年、アベリルは232安打、打率.378と、キャリア最高の打撃成績を残す。安打数はリーグ最多、打率は同年首位打者となったルーク・アップリングに次いで2位だった。インディアンス在籍時に、チームは一度も優勝争いをすることはなかったが、1939年シーズン半ばで移籍したデトロイト・タイガースが、翌1940年にアメリカンリーグを制覇、アベリルは38歳で初めてワールドシリーズに出場する。が、結果は3打数ヒットなしに終わった。1941年にブレーブスと契約したが、わずか8試合に出ただけで同年現役を引退する。アベリルのインディアンス在籍時の背番号「3」。 1975年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出されたが、アベリル本人は 「(野球殿堂に)選ばれるとしたら自分の死後だろう。自分の名前が殿堂入りしないように手配したから。(Had I been elected after my death, I had made arrangements that my name never be placed in the Hall of Fame.)」 と現役引退後語っていたという。実際に殿堂入りした1975年、アベリルは73歳の高齢だった。
経歴
クリーブランド・インディアンスの永久欠番に1975年指定。