アール・デコ(仏: Art Deco)とは、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。
原義は装飾美術(Arts decoratifs)。
幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つが、その装飾の度合いや様式は多様である。 アール・デコは、戦前の1925年にパリのセーヌ河畔を会場として開催された「アール・デコラティブ」という展覧会が由来とされている[1]。博覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)である。展示会場の外壁に、これまで見たこともないような円弧や直線を組み合わせた文様が施されていて、これがアール・デコ様式のはじまりだった[1]。戦後、アール・デコという言葉が印刷物に登場したのは、1966年にタイムズ紙のヒラリー・ゲルソンによる記事によるものだった[2]。 キュビズム、バウハウスのスタイル、当時発掘が相次いだ古代エジプト(古代エジプト美術)の装飾模様、アステカ文化の装飾、日本や中国などの東洋美術など、古今東西からの様々な引用や混合が指摘されている。世紀末のアール・ヌーヴォーは植物などを思わせる曲線を多用した有機的なデザインであったが、自動車・飛行機や各種の工業製品、近代的都市生活といったものが生まれた時代への移り変わりに伴い、進歩した文明の象徴である機械を思わせる、装飾を排除した機能的・実用的なフォルムが新時代の美意識として様式化した[3]。 世界中の都市で同時代に流行し、大衆に消費された装飾でもある。富裕層向けの一点制作のものが中心となったアール・ヌーヴォーのデザインに対し、アール・デコのデザインは一点ものも多かったものの、大量生産とデザインの調和をも取ろうとした。アール・デコの影響を受けた分野は多岐にわたり、広まった。 アール・デコは、装飾ではなく規格化された形態を重視する機能的モダニズムの論理に合わないことから、流行が去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられた。従来の美術史、デザイン史では全く評価されることもなかったが、1966年、パリで開催された「25年代展」以降、モダンデザイン批判やポスト・モダニズムの流れの中で再評価が進められてきた。 アール・デコ建築としては、1930年頃はニューヨークの摩天楼(クライスラー・ビルディング、エンパイア・ステート・ビルディング、ロックフェラーセンターなど)が有名だった。しかし、大恐慌によりアメリカ経済が大不況に陥るとともに、流行は終焉した。日本でも昭和時代初期の一時期、アール・デコ様式が流行した。当時、国際都市であった上海の近代建築にもアール・デコの影響が見られる(サッスーンハウス、フランスクラブなど)。 他、中南米や、オーストラリア、インド、インドネシアなどにもアールデコ意匠の建築は見られる。 インテリア、家具にもアール・デコが用いられた。チャールズ・レニー・マッキントッシュやウィーン分離派、フランク・ロイド・ライトのデザインもアール・デコの流れに位置づけられることがある。 (本名アドルフ・ジャン=マリー・ムーロン Adolphe Jean-Marie Mouron)
概要
建築
アメリカ
クライスラー・ビルディングアールデコの摩天楼
エンパイア・ステート・ビルディング
ウォルドルフ=アストリア
エセックスハウス
ラジオシティ・ミュージックホール
マイアミの街並み(マイアミ・デコと呼ぶことがある)
ネーピアのT & G ドーム
フロントン・メヒコ
チリ国立銀行(英語版)
セントラル・ド・ブラジル駅
オーストラリア戦争記念館
旧ニュージーランド銀行(英語版)ほか、ネーピアの街並み(1931年の震災からの復興に際し、アールデコ様式を採用した)
アンザック記念碑(英語版)(ニューサウスウェールズ州シドニー、オーストラリア)
ウメイド・バワン・パレス(英語版)(ラージャスターン州ジョードプル、インド)
家具
工業デザイン
レイモンド・ローウィ
美術
ポスター・絵画
カッサンドル(A. M. Cassandre 1901年 - 1968年)
レイモン・サヴィニャック
アイリーン・グレイ
ポール・コラン(Paul Colin 1892年 - 1985年)
ジャン・カルリュ(Jean Carlu 1900年 - 1997年)
シャルル・ルーポ(Charles Loupot 1892年 - 1962年)
タマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka 1898年 - 1980年)
ジョルジュ・バルビエ(George Barbier 1882年 - 1932年)
アンドレ・エデュアール・マルティ
シャルル・マルタン(フランス語版)(Charles Martin 1884年 - 1934年)
ジョルジュ・ルパップ(フランス語版)(Georges Lepape 1887年 - 1971年)
ジャン・エミール・ラブルール(Jean Emile Laboureur 1877年 - 1943年)
エルテ(Erte 1892年 - 1990年)
高野三三男(1900年 - 1979年)
ルイ・イカール(フランス語版)(Louis Icart 1888年 - 1950年)
(注)コラン、ルーポ、カルリュ、カッサンドルをあわせてアール・デコ期のポスターの(ダルタニアンを含めた)「三銃士」と呼ぶことがある[4]。
工芸