アーラーム・シャー
Aram Shah
奴隷王朝の君主
在位1210年
別号スルターン
出生不詳
死去1211年
デリー郊外
王朝奴隷王朝
父親クトゥブッディーン・アイバク
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アーラーム・シャー(Aram Shah, 生年不詳 - 1211年)は、北インドのデリー・スルターン朝、奴隷王朝の第2代君主(在位:1210年 - 1211年)。即位前の名はアーラーム・バフシュ(Aram Bakhsh)といった[1]。 父は奴隷王朝の創始者であるクトゥブッディーン・アイバクとされるが、養子という説もあり、実子であるか養子であるかは確定していない[1]。前後の情勢と彼が直ちに王位を継承していることから、実子ではないにしても、義子あるいは比較的近い血縁関係にあったのだという[1]。 1210年、父アイバクが落馬事故で急死したため、アーラーム・シャーはラホールの宮廷で貴族らに擁立され、その王位を継承した[2]。 だが、アーラーム・シャーは悪政を布いたといわれ、別の貴族らは軍司令官でアイバクの娘婿であったイルトゥトゥミシュをデリーに呼び寄せ、擁立しようとした[1][2]。 1211年、アーラーム・シャーはデリー郊外でイルトゥトゥミシュと戦い、敗れて殺されたという[2]。こうして、アイバクの王統は2代5年で断絶した。
生涯
脚注^ a b c d 荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.50
^ a b c ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.110
参考文献
荒松雄『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』未来社、2006年。
フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。
関連項目
奴隷王朝
表
話
編
アイバク1206-1210 / アーラーム・シャー1210-1211
イルトゥトゥミシュ家
イルトゥトゥミシュ1211-1236 / フィールーズ・シャー1236 / ラズィーヤ1236-1240 / バフラーム・シャー1240-1242 / マスウード・シャー1242-1246 / マフムード・シャー1246-1266
バルバン家
バルバン1266-1287 / カイクバード1287-1290 / カユーマルス1290