アーネスト・ホースト
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アーネスト・ホースト
基本情報
本名アーネスト・フリッツ・ホースト
(Ernesto Frits Hoost)
通称ミスター・パーフェクト
フォー・タイムス・チャンピオン
戦う精密機械
黒い閃光
褐色のスーパーコンピューター
階級スーパーヘビー級K-1
身長190cm
体重108kg
国籍 オランダ
スリナム
誕生日 (1965-07-11) 1965年7月11日(58歳)
出身地 オランダ
北ホラント州ヘームスケルク
スタイルムエタイ[1]
プロキックボクシング戦績
総試合数121
勝ち99
KO勝ち62
敗け21
引き分け1
無効試合 ⇒http://www.hoostgym.jp/
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アーネスト・ホースト(Ernesto Hoost、1965年7月11日 ? )は、オランダ男性キックボクサー北ホラント州ヘームスケルク出身。ボスジム所属。

K-1 GRAND PRIX ’97、’99、K-1 WORLD GP 2000、2002王者で、セーム・シュルトと並ぶ4度の最多優勝記録、また、ピーター・アーツに次ぐ5度のファイナル出場記録を持つ。(アーツは6度)さらに、軽重量級トーナメントであるK-2 GRAND PRIXの初代にして最後の王者でもあり、K-1の主催した大会での最多優勝回数を記録している。K-1初期からのライバルであったアンディ・フグ、ピーター・アーツ、マイク・ベルナルドとは「K-1四天王[2]として並び称され、突出した技術の高さから、ミスター・パーフェクトと呼ばれる。また、勝利後には「ホースト・ダンス」と呼ばれるダンスを披露する。
来歴

1965年7月11日、オランダ領ギアナ(現在のスリナム共和国)で生まれる。

1970年オランダに移住。

1983年12月11日、初めて選手としてリングにあがる。肘なしムエタイルールで Wim Scharren Berg を2RKOで倒し、初戦を勝利で飾った。

1987年11月8日、オランダのアムステルダムで行われたMTBNオランダタイトルマッチに出場。ケネス・プラックと対戦。1Rにダウンを奪い、判定勝ちし王座を獲得した。

1988年5月7日、オランダのアーネムで行われたMTBNヨーロッパタイトルマッチに出場。フランソワ・コレマンズ(ベルギー)を判定で退け王座を獲得。6月、フルコンタクトヨーロッパ選手権大会(ISKA主催)優勝。6月11日、フランスのストラスブールで行われたヨーロッパサバット選手権大会コンバ部門ミドル級に出場。Sylvain Postel(フランス)を5RKOで下し優勝。9月、キックボクシングヨーロッパ選手権大会(WKA主催)優勝。

1988年11月20日、ピーター・アーツと初対戦。5R判定勝利。

1989年8月27日、フランスパリで開催された第1回世界サバット選手権大会コンバ部門に出場。Francis Dauvin(ベルギー)を3RKOで下し優勝。これが初の世界タイトルとなった。この試合の写真は、オランダの武道雑誌ゼンドーカン誌の表紙を飾った。10月、ムエタイ世界選手権大会優勝。

1990年1月、キックボクシング世界選手権大会(WKA主催)優勝。11月8日にロブ・カーマンと再戦。前回の試合では判定負けしていたが、今回も5RKOで敗北した。しかし本人によればKO直前に急所をフックで打たれたからだと主張している。

1992年11月13日、フランスで行われたISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチでリック・ルーファス(王者/アメリカ)と対戦。ローキックが使えないというルールに慣れず、ルーファスのフットワークについていけなかったことで12R判定負けを喫した。

1993年4月30日、K-1初興行「K-1 GRAND PRIX ’93」に出場。1回戦でピーター・アーツに判定勝ち、準決勝でモーリス・スミスに左ハイキックで失神KO勝ちするも、決勝でブランコ・シカティックに右ストレートでKO負け。準優勝に終わった。

1993年12月19日、両国国技館で行われた「K-2 GRAND PRIX ’93」に出場。1回戦でマンソン・ギブソンに延長R判定勝ち。続く準決勝でアダム・ワットに1R右ハイキックでKO勝ち。決勝はチャンプア・ゲッソンリットに4R右ハイキックでKO勝ちし、優勝を果たした。

1994年5月8日、オランダのアムステルダムで行われた「K-2 PLUS TOURNAMENT」に出場。決勝戦でボブ・シュライバーを1RKOで破り優勝。

1994年11月12日、ISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチ(2分12R)で、リック・ルーファス(王者/アメリカ)と再戦。9Rにパンチでスタンディングダウンを奪うと、11Rに右ハイキックでKO勝ちした。負けたルーファスは失神してしばらく立ち上がれないほどダメージを負っており、酸素マスクが必要なほどだった。

1994年12月10日、「K-1 LEGEND ?乱?」でブランコ・シカティックと再戦するも、2Rに右ストレートでKO負け。

1995年3月3日、「K-1 GRAND PRIX ’95 」に出場。1回戦でフーベルト・ヌムリッヒにTKO勝ち。5月4日、準々決勝でジョニー・クレインにKO勝ちするも、準決勝でピーター・アーツに延長戦で判定負けを喫した。

1995年7月16日、「K-1 LEGEND ?翔?」でアンディ・フグと初対戦。2-0で判定勝ち。


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