アートディンク
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株式会社アートディンク
ARTDINK CORPORATION

種類株式会社
本社所在地 日本
104-0052
東京都中央区月島1丁目2番13号
ワイズビルディング6階
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分56.2秒 東経139度46分58.5秒 / 北緯35.665611度 東経139.782917度 / 35.665611; 139.782917座標: 北緯35度39分56.2秒 東経139度46分58.5秒 / 北緯35.665611度 東経139.782917度 / 35.665611; 139.782917
設立1986年4月21日
業種情報・通信業
法人番号6010001068179
事業内容ゲームソフト(家庭用ゲーム機・PC・携帯等)ならびに 各種デジタルコンテンツの企画・開発・販売
代表者代表取締役社長 永浜達郎
資本金1億円(2020年1月現在)
従業員数88名(2020年1月現在)
関係する人物#関係者参照
外部リンク ⇒www.artdink.co.jp
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株式会社アートディンク(: ARTDINK CORPORATION)は、1986年に設立された、主にコンピュータゲームを開発・販売などを行う日本の企業。東京都中央区月島に本社を置く。
概要

1980年代の設立当時よりPC用ゲームを開発・販売している老舗メーカーで、『A列車で行こう』『Neo ATLAS』『カルネージハート』シリーズなどの、シミュレーションゲームを得意とし、主力商品としている。1990年代初頭の国産PCゲーム興隆期においては国内トップシェアを誇り、1993年からPCエンジン等で家庭用ゲームソフトも提供し始める。以降、PC・家庭用を問わず様々なハードに多くのタイトルを提供し続けており、受託開発及び移植等のデベロッパー業務も積極的に行っている。

社名の由来は"ART"は「作品」、"DINK"は"DI"(2つの)+"NK"(NとK)で2人のN(永浜ともう一人)と2人のK(河西克重、神田英雄の元役員)の4人が会社を創設したことによる。なお、社名自体は現在も設立当時のままだが、社名ロゴデザインは一度変更されている。

元々ゲーム会社を作ろうという意識はなく、永浜と河西らが趣味のために作った開発用のモトローラCPUアセンブラなどを制作していたことが会社設立のきっかけであった。それらのアセンブラなどを試しに売り出した所、評判を得たので、映画産業防衛庁百貨店等にそれぞれに勤めていた高校時代の同期4人で起業する事になった。さすがにそれだけでは会社の維持は難しいであろうとなったが、丁度その頃に立ち上がりつつあったコンピューターゲームの市場で商売が出来そうという理由でゲームも手掛ける事となり、製作されたのが初代『A列車』である。『A列車で行こう』はあまりゲームなどには詳しくない河西らがかなりの努力の上で作りあげたものである[1]

当初は「研究所」のイメージで運営されており、社員が全員白衣を着用していた時期があったという[2]。販売促進はキャンペーンや雑誌広告が主だが、『A5』と『ナビット』『A列車で行こうDS』ではテレビCMが放送された。PC-9801シリーズ用のゲームが主力の時代には、ユーザー登録を行った人間全てにデモディスクを送付していた。

創業より都内?千葉県沿岸部の東京湾周辺にオフィスを構えており、代表作である『A列車で行こうシリーズ』においては美浜区周辺の建造物がモデルとなっている事が多い。3D化以降は海浜幕張周辺の建造物もモデルとなっており、例えばPlayStation版『A列車で行こう5』のデパートに描かれている「D」の看板は、開発当時本社を置いていた美浜区稲毛海岸駅にあるDマート(現在のイオンマリンピア専門館)がモデルとなっている。これは本社ビルと隣接していたため、当時の社員が多く利用していた事による。

関連会社であるスタジオアートディンクは、ゲームソフトウェアの受託開発、デバッグ業務を行っている。2018年7月24日、アイティエルホールディングスがスタジオアートディンクの発行済株式のすべてを取得しグループ会社としたため、関連会社ではなくなった[3]
沿革

1986年 - 設立。初代『A列車で行こう』発売。

1988年 - 戦略級リアルタイムWSLG『大海令』発売。

1990年 - ベストヒットソフトウェア賞シミュレーションゲーム賞を受賞。

1991年 - 『A列車で行こうIII』がベストヒットソフトウェア大賞を受賞。千葉市美浜区に本社移転。

1992年 - 子会社『株式会社ゼスト』を広告代理業として設立。『A列車で行こうIV』発売。日本ソフトウェア大賞ゲームソフト部門最優秀賞受賞、『for Windows』日経パソコン・ベスト・ソフトWindowsゲーム・ソフト部門タイトル入選。

1993年

PCエンジン等、家庭用ゲーム事業に参入。

『株式会社ゼスト』出版事業開始。『A列車で行こうIII』北米版『A-TRAIN』を米国その他数カ国で発売。「THE BEST OF 1992」SOFTWARE PRODUCTS賞「BEST STRATEGY GAME OF 1992」の各賞受賞。

千葉市美浜区稲毛海岸駅に本社移転。


1994?1996年 - 『ルナティックドーンII』日本ソフトウェア大賞ログイン賞、『アクアノートの休日』日本ソフトウェア大賞エンターテインメントソフト部門優秀賞を受賞。

1998年 - 千葉市幕張新都心(海浜幕張)に本社移転。 PC移植作、家庭用オリジナルタイトル多数発売。

1999年 - ミドルウェア事業を開始。

2000年 - PlayStation 2開発支援ツール「Agatha」発売。

2002年 - 東京都中央区月島に本社移転。受託開発事業を本格化。以降、他社タイトル、版権物等多数のキャラクターゲームを開発。

開発タイトル一覧
パソコン用ソフト

ルナティックドーンシリーズ

A列車で行こうシリーズ

大海令シリーズ

ハウメニロボットシリーズ[4]

ハウメニロボットHOW MANY ROBOT - ロボットを操作し、時限爆弾を解除するシミュレーションゲーム:PC-9800FM-71988年)。

HR2 - (超)高層ビル(最大600m)を建てる建築シミュレーション。C言語風(サブセット)の言語で自律的に行動するロボットをプログラミングし、工事を進めていく:PC-9800、1994年


ブリッツシュトラーセ

栄冠は君にシリーズ

機甲師団シリーズ

THE ATLASシリーズ

THE ATLAS

Neo ATLAS


関ヶ原

リバティータウン - 国土交通省監修の元に製作された異色の河川行政シミュレーションであり、通常の販売ではなく大型書店のPCソフトコーナーでのみ販売された。箱庭ゲームではなく、水災害対策や河川環境の大切さを考えるシリアスゲームと言える。

天下御免

トキオ ?東京都第24区?:PC-98

ダブルイーグル

ビッグオナー

はなまる工務店:Windows 95Windows 98

地球防衛軍 - 自律的に行動する8機の宇宙戦闘機を運用し、異星人から太陽系を守るシミュレーションゲーム。


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