この項目では、19世紀の芸術運動について説明しています。その他の用法については「アーツ&クラフツ」をご覧ください。
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出典検索?: "アーツ・アンド・クラフツ運動"
アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)は、イギリスの詩人、思想家、デザイナーであるウィリアム・モリス(1834年-1896年)が主導したデザイン運動である。美術工芸運動ともいう。1880年代から始まった[1]。
ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張した。モリス商会を設立し、装飾された書籍(ケルムスコット・プレス)やインテリア製品(壁紙や家具、ステンドグラス)などを製作した。
モリス商会の製品自体は結局高価なものになってしまい、裕福な階層にしか使えなかったという批判もある。しかし、生活と芸術を一致させようとしたモリスの思想は各国にも大きな刺激を与え、アール・ヌーヴォー、ウィーン分離派、ユーゲント・シュティールなど各国の美術運動にその影響が見られる。アメリカ合衆国にもアーツ&クラフツ運動はあった。イリノイ州のシカゴがアメリカにおける運動の拠点で、建築家の フランク・ロイド・ライトも創立者の一人であったし[2]、ミシガン州にあるクランブルック・アカデミー・オブ・アートの創設者であるジョージ・ゴフ・ブースも運動の推進者であった[3]。
日本の柳宗悦もトルストイの近代芸術批判の影響から出発し、モリスの運動に共感を寄せ、1929年、かつてモリスが活動していたロンドンのケルムスコット・ハウスを訪れた。柳の民藝運動は日用品の中に美(用の美)を見出そうとするもので日本独自のものであるが、アーツ・アンド・クラフツの影響も見られる。
インテリアコーディネーターの試験にも出題されることが多い。
関係人物の一覧
ヘンリー・コール(1808年?1882年)ロンドンデザイン学校の校長。
オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン(1812年?1852年)建築家。ゴシック・リバイバルの推進者。
ジョン・ラスキン(1819年?1900年)社会思想家、美術批評家。
G・E・ストリート(1824年?1881年)建築家。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828年?1882年)画家、詩人。
リチャード・ノーマン・ショウ(1831年?1912年)建築家。
フィリップ・ウェッブ(1831年?1915年)建築家。
エドワード・バーン=ジョーンズ(1833年?1898年)画家。
E・W・ゴドウィン(1833年?1886年)アングロジャパニーズ・スタイルを確立した建築家。
ウィリアム・モリス(1834年?1896年)社会思想家。詩人。
クリストファー・ドレッサー(1834年?1904年)デザイナーで植物学者。
ウィリアム・ド・モーガン(1839年?1917年)画家、小説家。
ウォルター・クレイン(1845年?1915年)挿絵画家、装飾芸術家。ロイヤルカレッジオブアートの校長。
クリストファー・ウォール(Christopher Whall、1849年-1924年)ステンドグラス作家。
アーサー・ヘイゲート・マックマード(1851年?1942年)建築家。
G・F・A・ヴォイジー(1857年?1941年)建築家。
チャールズ・ロバート・アシュビー(1863年-1942年)建築家。
アレキサンダー・フィッシャー(1864年?1936年)デザイナー。
アーネスト・ギムソン(1864年?1919年)建築家。
ジェシー・ニューベリー(1864年?1948年)デザイナー。
M・h・ベリースコット(1865年-1945年)建築家。
チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868年?1928年)建築家。
この節の加筆が望まれています。
参考文献
ジリアン・ネイラー『アーツ・アンド・クラフツ運動』、川端康雄・菅靖子共訳、みすず書房、2013年
大内秀明『ウィリアム・モリスのマルクス主義』 平凡社新書、2012年6月。ISBN 978-4582856453
関連項目
ドイツ工作連盟
バウハウス
アール・ヌーヴォー
ジョン・ラスキン 著書『ヴェネツィアの石』で、この運動が広まった。
ラファエル前派
小野二郎 - モリス研究者
川端康雄 - 弟子のモリス研究者
宮沢賢治
ロシア構成主義 - ロシア構成主義者たちはアーツ&クラフツに影響を受け、実際にイギリスに行ったりしている[4]。
脚注[脚注の使い方]^ “ ⇒試験に出る色彩用語”. colorterms.kisochishiki.com. 2018年10月25日閲覧。