アーチー・シェップ
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アーチー・シェップ
2008年 ワルシャワにおいて
基本情報
生誕 (1937-05-24) 1937年5月24日(82歳)
アメリカ合衆国 フロリダ州 フォートローダーデール
ジャンルジャズフリー・ジャズファンク
職業音楽家、作曲家、大学教授
担当楽器サクソフォーン、ピアノ
活動期間1960年?現在
レーベルImpulse!, SteepleChase,
BYG Actuel, DENON
共同作業者セシル・テイラージョン・コルトレーンホレス・パーラン
公式サイト ⇒www.archieshepp.com
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アーチー・シェップ(Archie Shepp、1937年5月24日 - )は、アメリカ合衆国ジャズフリー・ジャズ・ミュージシャン、サックス奏者である。フロリダ州生まれ。セシル・テイラー、ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ(英語版)、ジョン・コルトレーンホレス・パーランらとの共演でも知られる。アフリカ音楽に影響を受けたフリー・ジャズの代表的なミュージシャンである。
目次

1 来歴

2 ディスコグラフィ

2.1 リーダー作品

2.2 サイドマン作品


3 出典

4 参考文献

来歴

フロリダ州で生まれて、ペンシルベニア州フィラデルフィアで育った。もともと俳優志望であったシェップは、バーモント州にあるゴダード・カレッジ(Goddard College)で演劇学を専攻して学位を取得。この時期に平行してサクソフォーンを手にして音楽活動を始めた。カレッジ卒業後は仕事を求めてニューヨークに移った[1]

短期間、ラテンジャズを経験したのち、1960年から前衛的なセシル・テイラーのバンドに参画した。

1962年、ビル・ディクソンとの共同名義ながら初のリーダー作品『アーチー・シェップ&ビル・ディクソン・カルテット』をサヴォイ・レコードから発表した。この作品の作曲はオーネット・コールマンによるものであった。この頃からシェップは、ドン・チェリーやジョン・チカイと共にニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ(英語版)のメンバーであった。シェップの単独名義の初リーダー作品は、1964年にインパルスから発表された『フォー・フォー・トレイン』であり、ジョン・コルトレーンの後押しによって実現した。

1964年末、シェップはコルトレーンの『至上の愛』の録音セッションに参加したが、当初発売されたアルバムにはシェップが参加した部分は含まれていなかった。(のち2002年発売のデラックス・エディションに収録された。)また、コルトレーンとの共同名義の『ニュー・シング・アット・ニューポート』(1965年)は、同じジャズ・フェスティバルにおけるそれぞれの演奏のカップリング盤である。したがって、最初に発表されたコルトレーンとの共演盤は『アセンション』(1966年)であった。

1969年、アメリカからフリー・ジャズ系のミュージシャンが多くフランスのパリに移った中にシェップもいた。現地のレーベル「BYG Actuel」、「America」などに作品を残している。

1971年、シェップはマサチューセッツ大学アマースト校に招かれた[2]。これが30年間に渡る音楽教授としてのキャリアの始まりであった。シェップは、ニューヨーク州立大学バッファロー校においてアフリカ系アメリカ人研究の教授も務めた[3]

1971年のアッティカ刑務所暴動を題材にしてドラマーのビーヴァー・ハリスが作詞してシェップが作曲した楽曲「アッテカ・ブルース」を含む同名アルバム『アッティカ・ブルース』(1972年)を録音した。ハーモニカを演奏したり、詩を朗読したり、人権についてのメッセージを吹き込み、表現手段を増やしている。1970年代のシェップは、伝統的なジャズとしてトリビュート・アルバムなどを制作する一方で、ブルースR&B、ファンクといったブラック・ミュージックらしい作品にも取り組んできた。表現が多様化するジャズ・シーンにおいて、シェップはホレス・パーランと共にスピリッチュアルな作品『ゴーイン・ホーム』(1977年)も残している。(さらに『Trouble in Mind』(1980年)でフォローアップしている。)

1978年から日本のレーベル「デンオン(DENON)」のもとでPCM録音した作品群を残している。『デュエット』(1978年)には角川映画『人間の証明』のテーマが収められている。


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